2015年3月22日

 夕方。 宮崎から羽田に向かう飛行機の機中からのブログ。 都城市で行われた長峯誠参院議員のセミナーで講演した。 ルールは、45分間1本勝負。 いつものように最後まで全力疾走した。 

 そう、自分にとって演説は「ライブ」と同じだ。 全身を使って訴える分、相当なエネルギーを消耗する。 が、終わった後は、心地よい疲労感に包まれる。 この瞬間が好きだ、な。 

 これだけ声が大きいと、途中で居眠りするのは難しい。(笑) 講演の後、池田 都城市長が驚いた顔で言った。 「いや、スゴいパワーですね。話を聞いている間、動けませんでした!(笑)」と。 

 パッション(熱意)があって初めて、「言霊」が聴衆の心に届く。 長峯議員の中央での活躍ぶりは、十分に伝えられたと思う。(ニッコリ)

 さて、ここからは前回のブログの続き。 亡くなった両親は、草津(温泉)で生まれて、草津で育った生粋の上州人だった。 父は子供の頃から有名なガキ大将。 スポーツ万能で、スキーは毎冬の小学校、中学校の記録会を連覇するほどの腕前だった。

 高崎中学時代に父と同級生だった某経営者から、こんな話を聞いたことがある。 「あなたのお父さんは、高崎中学では有名だった。剣道がスゴく強かったこともあるが、お父さんを一躍有名にしたエピソードがある。生徒を殴った将校に全校生徒の前で食ってかかったんだ。(笑)」と。

 その後、競技スキーの選手として国体や全日本にも出場。 世界選手権の日本チームのコーチとしても活躍した亡父に、人生の転機が訪れる。 草津町長だった祖父が亡くなり、老舗旅館「山田屋」を継ぐことになったのだ。

 若い仲間に推されて町会議員を3期務めた後、県議選に出馬して当選。 後年、県議会の重鎮が、「山本君は県政の風雲児だった」と回想するほどやり手の県議だった。 何しろ、それまでは長老が独占していた県連幹事長のポストを、次世代勢力を結集して3期目で奪い取ったのだ。

あ、シートベルトサインが点灯した。 しばらく揺れるらしい。 続きは次回のブログで。   


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」