2015年2月22日

 朝の新幹線で地元入り。 先日、行われた渋川市の市議会議員選挙の当選者(保守系約20名)を回った。 

 渋川市は多感な高校時代を過ごした青春の地だ。 お弁当屋さんの2階に下宿していた。 通っていた群馬県立渋川高校は男子校。 バンカラで、自由な校風だった。 毎日が楽しくて仕方がなかった。

 校歌は類まれな名曲。 2番まで全部、憶えている。 「健児一千、意気高し、心素直に!」

 渋高(しぶたか)出身者は、地元の様々な分野で活躍している。 県議や市議、病院長や会社経営者、弁護士…等々。 選挙になると、同級生が熱心に応援してくれる。 同学年だった大林俊一県議が亡くなったのは、本当に残念だった。(涙)

 挨拶回りの合間に、母校の渋川高校に立ち寄った。 スゴく久しぶりだった。 建物は新しくなっていたが、変わらないものがひとつ。 学校の校門の近くにある胸像だ。 「佐藤次郎」と記してある。

 戦前に活躍した伝説のテニスプレーヤー、佐藤次郎選手は群馬県北群馬郡長尾村(現渋川市)に生まれ、旧制渋川中学(現在の渋川高校)を卒業した。 テニスの4大大会のベスト4に5回進出。 全盛時には、世界ランキング3位まで上りつめた。 まさしく母校の誇りだ。 このランキング3位という記録は誰にも破られていない。 文字通り、日本テニス史上、最強のプレーヤーだった。

 最後は悲劇的だった。 ヨーロッパで開催されたデビスカップ遠征の帰路、船からマラッカ海峡に飛び込んで自ら命を絶った。 まだ26歳だった。 責任感が強く、常に国を背負って戦っていた佐藤次郎氏にとって「5回の準決勝敗退」は耐え難い屈辱だったのではないかというひともいる。 

 その佐藤氏が持っていた4大大会シングルス32勝の記録を更新し、日本人テニス選手として初めての4大大会準優勝を成し遂げた錦織圭選手のランキングは5位。 国民の期待というプレッシャーを跳ね除け、必ず佐藤次郎選手の世界3位を乗り越えてくれると信じている。

追伸:夕方。 東京駅に到着。 近くのカフェで友人(山本ネットチームの1人)と会った。 米国の某議員、シリコンバレー起業家との連絡を手伝ってもらった。 よしっ、結構、進んだ、な。(ニッコリ) 


◇山本一太オリジナル曲:
「素顔のエンジェル」
「マルガリータ」
「かいかくの詩」
「一衣帯水」
「エイシア」