2014年11月24日

 13時過ぎ。 高崎市内の和食レストランに入った。 今日もサラダから食べる。 そう、順番が大事なのだ。

 さて、本日の地元紙(上毛新聞)の2面の囲み記事に、「山本一太とある人物のブログの応酬」が取り上げられている。 淡々と事実関係を綴った中立的な内容だ。 が、ある意味、過去に聞いたことがない現象だと思う。(苦笑)

 午前中、前橋の自民党県連本部で「選挙対策会議」が行われた。 前橋支部に対して「複数の公認申請」があり、そのことも議題に上ったそうだ。

 県連の対応は決まったらしい。 が、政治は、最後まで何が起こるか分からない。 依然として(いろいろな意味で)「予断を許さない状況」だと認識している。 正式に決まったら決まったで、また反発が出るだろう。 どんな展開になるかは予測出来ない。 間違っても、「分裂選挙」のような事態にはならないことを祈っているが、今後も「政治家としての覚悟」を問われる場面は続きそうだ。(ふう) 

 さて、福田達夫衆院議員は、父君の総理秘書官だった頃から、地元の国会議員や県議等と交流を重ねていた。 必要に応じて、時の総理に地元の要望を繋いだりしていた。 時には、大沢知事とも群馬の将来ビジョンについて語り合っていたらしい。

 達夫氏は、首相秘書官時代も謙虚で礼儀正しかった。 真面目で気さくな人柄は、すでに県内の多くのひとの信頼を得ていた。 福田達夫衆院議員には、将来、日本を担う政治家に成長して欲しい。 同郷の先輩議員として、心からそう願っている。

 自民党が野党だった時代、県連の一部の人たちから、「元首相の秘書である福田達夫氏の参院比例区への擁立論」が持ち上がった時期があった。 そのココロは、「大沢知事と戦って敗れた前知事が、参院比例区に出馬する。前知事の当選を阻み、群馬での比例票の上積みを図るために、達夫氏に比例区で(群馬代表として)立候補してもらったらどうだろうか?」ということだった。

 あくまで水面下の議論で、大きく広がることはなかった。 が、ある時、ある県議から「一太さんはどう思う?」と聞かれ、こう答えた。 

「私も達夫氏のことは好きですが、親子で議席独占みたいな構図になることに対しては、一般の県民(有権者)から反発があると思います。比例区と言っても、ほとんど群馬の票に頼るわけですから。達夫氏の将来を考えても、プラスには働かない。私は反対です!」と。 

 何しろ、尾身幸次元財務相の在職中に、参院比例区に立候補したあの優秀な尾身朝子氏(尾見元大臣の長女)でさえ、当選に届かなかったのだ。

 山本一太の考え方は、直接、達夫氏にも伝えた。 思ったとおり、時代の流れに敏感な達夫氏本人は、そんなことは露ほども考えていなかった。 

 後で分かったことだが、達夫氏出馬の可能性を福田康夫元総理に打診したひともいたようだ。 が、福田元総理は受けなかった。 同時期に親子で議員をやるなどという発想は、最初からなかったのだと思う。 実際、福田元首相は、自民党が政権を奪還した昨夏の衆院選挙の前に選挙への不出馬を表明した。 周囲に惜しまれつつ、政界をスパッと勇退した。

 福田元総理の引退表明を受けて、後継候補を決めるための公募が実施された。 選考委員会のメンバーでもあった自分も、応募者の書類審査、面接に参加した。 県連大会での決意表明も聞いた。 その上で、福田達夫氏を強く推したのだ。

 笹川たかし元衆院議員(元自民党総務会長)は、そもそも息子の博義(ひろよし)氏を自らの地盤である「群馬衆院2区」から出すつもりはなかった。 事実、国政選挙に3度挑戦していた博義氏は、その後、群馬3区で県議として実績を積み、達夫氏と同じように、公募による審査で自民党の公認候補に選ばれたのだ。

 今なら、この話をしても許してもらえると思う。 2005年の小泉郵政選挙の少し前だったと記憶している。 小泉総理(当時)による解散直後の「郵政民営化に賛成か反対か、私は国民に聞いてみたい!」という衝撃の記者会見をきっかけに、「小泉劇場」が日本全国を席巻するとは誰も予想していなかった頃のことだ。 

 朝、笹川たかし衆院議員から電話がかかって来た。 「出来るだけ早く会いたい」とのこと。 翌日か翌々日に、衆院議員会館事務所(東京都内の事務所だったかも)を訪ねた。 2人きりで、しばらく話をした。

 笹川たかし元総務会長がこう切り出した。 「あのね、山本君。私は次の選挙には出ないつもりでいる。ついては、あなたに衆院群馬2区の後継候補として立候補してもらいたい!」 

 次のようなフレーズが続いた。 「君なら必ず選挙に勝てるし、安心して任せられる。え?後援会の体勢はちゃんと整えるよ。青木さん(当時の自民党議員会長)はオレが説得するが、その間、君はしばらく大人しくしてもらわないといけない、な!(笑)」 正式な要請(=後継指名)だった。

 自民党の重鎮で、群馬の先輩でもある笹川たかし元国務大臣が、政治家山本一太をそんなふうに評価してくれたことが、本当に嬉しかった。 このエピソードは、生涯、忘れない。 笹川元総務会長が、最初から息子の博義氏に2区の地盤を継がせるつもりがないことにも感銘を受けた。 

 笹川たかし氏は、「うちの博義は、違うアプローチで政治家を目指して欲しいと思っている。政治には、いろいろな人にチャンスを与える仕組みが大事だ!」と語っていた。

 「笹川先生が私のような欠点だらけの人間を、本気で後継として考えていただいたことには感激しました。ありがとうございます!1日、考えさせていただけますか?」と答えた。 その場で返事をするのは失礼だと思ったからだ。 翌日、連絡を入れ、丁重にお断りした。 衆院への鞍替えは考えていなかったからだ。

 あの時、笹川元総務会長の申し入れを有り難く受け入れていれば、衆院選挙で当選出来た可能性はかなり高かったと思う。 小泉総理(当時)は必ず公認してくれただろう。

 え? 衆院への鞍替えが山本一太の長年の悲願だって?!(笑) 本当に衆院への転出を狙っていたとしたら、他にもチャンスはあった。 面倒臭いので、いちいち書かないけど…。 

 つまり何が言いたいのか? 今回、中曽根康隆氏の擁立に反対したのは、中曽根県連会長との間に確執(?)があるからではない。 政治は「ファミリー独占ビジネス」ではない。 相手が誰であろうと、「群馬の選挙区議席7つのうちの2つを親子で占める」ということには、100%、異論を唱えていたはずだ。
 
 あ、サラダが来た。 この続きは次回のブログで。

追伸:笹川たかし県連会長は、紛れもなくリーダーだった。 参院選挙と知事選挙が重なった時も、ちゃんと自分の立場を分かってくれた。 親分肌で、懐が広い。 

 勝つのは難しいと思われていた知事選挙でも県連会長として陣頭指揮を取り、大沢知事誕生の立役者の一人になった。 「泥をかぶらずに逃げる!」みたいなことは、絶対にしなかった。 だから、好きなのだ。(ニッコリ)


◇山本一太オリジナル曲:
<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/1362912973" target="_blank">「素顔のエンジェル」</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/1362913254" target="_blank">「マルガリータ」</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/1298511048" target="_blank">「かいかくの詩」</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/1372242789" target="_blank">「一衣帯水」</a><br><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/so21209855" target="_blank">「エイシア」</a><br>