2014年11月15日:パート2

 20時過ぎ。 高崎から東京に向かう新幹線の車中。 駅の構内で買ったロイヤルミルクティーを飲みながら、Macのキーボードを叩いている。

 朝から中之条町を回った。 山本一太後援会の役員、約40名と会った。 どこに行っても話題に上ったのは、衆院選挙と町長選挙だった。 

 小渕優子前大臣に関しては、厳しい意見がなかったわけではない。 それでも、「試練を乗り越えて頑張って欲しい!」という声のほうが多かった。(ホッ) 

 誠実で、人情味に溢れた吾妻の人たちだもの。 きっとこう思っているに違いない。 「苦しい時だからこそ、地元の自分たちが支えてあげないといけない!」と。

 過去のブログにも書いた。 小渕優子衆院議員が、近い将来、さらなる苦境に立たされる可能性もある。 が、いかなる困難にぶつかろうと、過去5回の当選を積み重ねて来たこの選挙区(群馬5区)で踏ん張ってもらいたい! そしてもう一度、政治家として表舞台で活躍してもらいたい! 

 そのためにも、今回の政治資金をめぐる疑惑が1日も早く、かつ徹底的に解明されることを強く願っている。 何度も言っているように、「曖昧な決着」は優子氏の再起を遅らせるだけだ。

追伸:自分が優子さんの復活を心から望んでいる理由の一つは、政治家・小渕優子を誕生させたこの地域に強い思い入れがあることだ。 草津町で生まれた自分にとって「吾妻地域」は地元中の地元。 というか、吾妻で生まれ育った国会議員は、実は山本一太しかいない。 亡父・山本富雄が、吾妻郡の県議を3期、務めていたという縁もある。 昨年夏の参院選挙における吾妻郡全体の山本一太の得票率は、当然、8割を上回っている。

 県立渋川高校を卒業した自分にとって、高校時代の3年間を過ごした「渋川市」は第2の故郷だ。 高校の先輩や同級生が、様々な分野で活躍している。 今年亡くなった(渋川市に隣接する)北群馬郡選出の大林俊一県議も同じ渋高の同級生。 大林県議は、この地域の山本一太後援会の会長も引き受けてくれていた。 前回の参院選挙での渋川・北群馬地区の得票率は7割を超えた。

 「甘楽郡」(下仁田町と甘楽町)は祖父の出身地。 下仁田町で生まれた祖父が草津温泉の老舗旅館「山田屋」の婿になり、あの保守的な草津温泉の町長にまでなった。 その関係で、甘楽郡には親戚が多い。 このブログに何度も登場した下仁田町と甘楽町の山本一太後援会(一太塾)は、強力な応援団。 事実、昨年の参院選挙では、南牧村(得票率9割)を含む甘楽郡全体の得票率が8割以上をマークしている。

 「富岡市」では、落選中もずっと「市長」と呼び続けて来た兄貴分の岩井賢太郎市長が、見事に返り咲いた。 世界遺産に登録された富岡製糸場がこの地域の発展の起爆剤になるよう、全力で応援したいという思いがある。 昨年の参院選挙における富岡市の得票率は76%。 数年前に発足した「富岡一太塾」の活動も、さらに活発化させていきたいと考えている。

 「旧群馬郡」(現在の高崎市)にも、亡父の時代から様々な繋がりがある。 大きな可能性を秘めた藤岡市と安中市でも、参院選挙ではそれぞれ74%、71%の得票率を記録している。

 この地域の発展は、「実力派の政治家」として復活してもらわねばならない16歳年下の小渕優子衆院議員と力を合わせて進めていく。 ずっと前から、そう心に決めているのだ。

 万一、この地域に小渕優子氏以外の候補者が「筋の通らない形で」擁立されるようなことがあったとする。 その時は、さすがに黙って見ているわけにはいかない! 吾妻郡で生まれ育ったただ一人の国会議員として、過去19年間、苦しい時も自民党を離れず、自民党の活動に貢献して来た群馬選出の政治家として、「必要な行動」を取らざる得ない!!(キッパリ)

 あ、間もなく東京駅のアナウンス。


「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」