2014年10月30日:パート4

 22時過ぎ。 自宅の居間でパソコンの電源を入れた。 遅い夕飯(焼きそば)、スゴく美味しかったなあ。(ニッコリ)

 さて、麻生政権時代、選対副委員長だった菅義偉衆院議員(現官房長官)が、自民党改革の一環として「同一選挙区からの世襲候補の立候補を制限するルール」を導入しようとした。 この動きを支援する議員連盟に、世襲議員が2人だけ、名前を連ねた。 河野太郎氏と山本一太だった。

 自分自身は「相当に出来が悪い」と自覚しているが(笑)、世襲議員であっても、優秀な人は大勢いる。 加えて、世襲であろうとなかろうと、能力があれば(開かれたプロセスを経て)「政界に入る」ことは、全く問題ない。 

 ただし、国会議員はファミリービジネスではない。 「世襲議員の比率があまりに高くなる」ことは、問題だと思った。 結果として、(地盤や看板がなくても)才能と意欲のある新規参入者のチャンスを奪うことになってしまうからだ。 

 自分が世襲政治家だからこそ、優秀な人材が政治にチャレンジ出来る「開かれた政党」に変えるべきだと考えた。 だからこそ、議員連盟に加わったのだ。 が、結局、この流れは、麻生政権の終焉と共に「立ち消え」になった。

 2年前の衆院選挙で、群馬でも「3人の若武者」が誕生した。 福田達夫衆院議員、笹川博義衆院議員、井野俊郎衆院議員だ。 達夫氏と博義氏は、いわゆる2世議員。 が、2人とも県連が実施した候補者公募に名乗りを上げ、オープンな審査手続きを経て、公認候補に選ばれた。

 達夫君(福田達夫代議士)は、大手商社に務めた後、父君である福田康夫元総理の秘書官として政治感覚を磨いた。 政治理念もしっかりしているし、国際感覚もある。 人柄も抜群だ。 将来は、自民党を引っ張る存在になると確信している。

 ヒロちゃん(笹川博義代議士)は、笹川たかし元自民党総務会長の3男。 若い頃から何度も国政選挙に挑戦したが、当選には届かなかった。 苦労の末、父君の地盤だった群馬2区ではなく、隣の群馬3区で県議会議員としてデビュー。 地方議員としての経験を積んだ後、父親の選挙区とは違う3区で出馬。 国会議員の議席を得た。 つまり、先代の地盤を引き継いだわけではない。

 この2人が政界にデビューした後、立候補制限に対する考え方が変わった。 「オープンな公募で選ぶシステムを進化させていけば、世襲議員の立候補制限までやる必要はないのではないか」と思うようになった。

 それでも、自民党が(近代政党として)「機会平等」という原則を維持していくために、「あってはならないこと」がひとつあると思う。 それは、「同じ県の国会議員の複数の議席を親子で占める」ということだ。

 あ、お湯が沸いた。 この続きは次回のブログで。  


「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」