2014年10月30日:パート5

 過去のブログにも、何度か書いた。 中選挙区時代には「政治のメッカ」と呼ばれ、戦後4人の総理を輩出した上州群馬県には、長年に渡って「福中対決」という風物詩があった。 県議会議員から町村議会議員、市長や町村長に至るまで、福田赳夫元総理の流れを汲む「福田系」と中曽根康弘元総理に連なる「中曽根系」に分かれて競い合うという構図が出来上がっていた。 まあ、これはこれで、群馬の保守基盤を強めることに繋がっていたと言えなくもないが…。

 当時は、福田赳夫元総理と中曽根康弘元総理の親族の人たちが参院の群馬地方区で当選。 選挙の度に激しくせめぎ合い、結果として自民党が2議席を独占するという状況が続いていた。 今、振り返ってみると、この流れは、中選挙区という選挙制度、福中対決の存在、政権担当能力のある野党の不在という3つの要因がもたらした現象だったと思う。

 「福中対決」の時代に比べると、群馬の有権者(県民)の意識は大きく変わっている。 中選挙区から小選挙区に移行するプロセスの中で、同志会(福田系県議団)と県政塾(中曽根系県議団)もその役割を終え、自民党県連は一本化された。 加えて、政権交代が起こり、最大野党だった民主党が政権を3年間、担当した。 地盤や看板を持たない数多くの新人議員が誕生したことで、「政治はファミリービジネスではない」という意識も定着しつつある。

 こうした状況の中で、(よほどの特別な事情がない限り)あの頃のように、同じ県の複数の国会議員の議席を(同時期に)「親子で占める」などいうことは、到底、有権者の理解を得られないだろう。 そんなことをしたら、「政治を私物化している」ように映ってしまうからだ。 自分と親しい複数の県議や首長も、全く同じ認識だと話していた。  

 万が一にも、生まれ育った故郷である群馬県で、こんな「今の時代に逆行した状態」が現出するわけがない。 が、念のため、政治家・山本一太のスタンスを明確にしておきたい。 「機会平等」のない組織は、必ず衰退する。 自民党は、能力と志のある人にチャンスを与える政党であって欲しい。

 さあ、腹筋と背筋をやって、布団に潜り込む。 目覚まし時計のアラームを、午前6時30分にセットして、と。 


「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」