2014年7月26日

 午後3時過ぎ。 高崎市内某所で待ち合わせの相手を待っている。 午後2時から富岡製糸場内で行われた「世界遺産登録記念式典」に出席。 主催者の岩井富岡市長に続き、来賓として最初に祝辞を述べた。

 世界遺産登録が決まったのは、6月21日にドバイで開催されたユネスコの世界遺産フォーラム。 出張先の沖縄県南大東島で、このビッグニュースを聞いた。 ドバイに駆けつけていた大澤知事、岩井市長、富岡製糸を愛する会の高橋会長に、さっそくお祝いの携帯メールを送った。

 富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産に登録されたことにも感激したが、最初に頭を過ったのは、富岡市、いや群馬県の夢を実現するためにこのプロジェクトに取り組んで来た関係者の努力と熱意だった。

 我が国で最初の本格的な官営製糸場である富岡製糸が、日本の近代化に大きく貢献したことは間違いない。 が、その事実だけでは、世界遺産登録は難しい。 そこで地元関係者の人たちが、国とも協力しながら、富岡製糸場を世界遺産の有力候補に押し上げるための戦略を練った。 

 様々なリサーチや分析を重ね、(恐らく他の世界遺産のケースも研究した上で)富岡製糸場が絹産業の国際技術交流の舞台になっていたこと、この地域での技術革新が良質な生糸の大量生産を可能にし、それが「絹の大衆化」をもたらしたこと、結果として、20世紀の服飾文化の推進に繋がったこと。 そうした事実を1つのストーリーとして練り上げたのだ。 これこそ、内村鑑三の言う「難しければ難しいほどやり甲斐がある」という上州人の不屈の魂ではないか!

 あ、到着したようだ。 パソコンをしまわないと。  


「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」