2014年5月7日:パート2

 午前1時過ぎ。 熱いミルクココアを入れた。 眠気と戦いながら、前回のブログの後編を書く。 先ほど、本日の日英同時Tweetが終わった。 あいたた、スゴいスピードでキーボードを叩いていたら、指が痛くなって来た。 

 ふと思った。 大臣で、いや、政治家で毎日、こんなに文章を書いている(=外に向けて発信している)政治家って、あんまりいないんじゃないかなあ、と。(苦笑) 健康なほうだとは思うが、人生は何が起こるか分からない。 明日、電池が切れてパタッと倒れるかもしれない。 だから、寝る前に行けるところまで行く。 今回の米国出張のことは、どうしても「直滑降ブログ」に書きとめておきたいのだ。

 さて、1960年代の後半から80年代(?)にかけて、「下田会議」と呼ばれる日米間の民間政策対話メカニズムがあった。 日本国際交流センターの故・山本正理事長等が中心になって立ち上げたこの会議には、日米両国から政財界の有力者、学者、ジャーナリスト等が参加していた。 日米ともに、そうそうたる顔ぶれだった。

 たとえば、政界関係者で言うと、米側のメンバーには、大統領候補だったブラッドレー上院議員等の有力政治家が含まれていた。 確か超党派のメンバーだったと思う。 貿易摩擦等の問題もあり、米側の日本に対する関心が高かった時代だ。

 安倍政権登場以来、アベノミクスによる経済回復もあって、米国における日本の存在感が回復しつつある。 この機会を捉えて、日本とシリコンバレーを含む米国西海岸との間に、民間主導の「下田会議のような交流グループ」を立ち上げてはどうかというのが、サンフランシスコ市内で行われたセッションでの自分の提案だった。

 今回、米国西海岸を視察したJapanese Dreams Projectのメンバーは素晴らしかった。 この新たな「シリコンバレー下田会議」を作るにあたって、たとえば日本側はローソンの新浪さんやLIXILグループCEOの藤森さん、ジェームズ近藤氏等が中核になり、有識者は船橋洋一さんに人選してもらい、政界からは、武見敬三参院議員、林芳正農水大臣、茂木敏充経産大臣、川口順子元外相、河野太郎衆院議員、浅野慶一郎・みんなの党代表等のような国際派の議員に中心になってもらえばいいのではないか。 セッションの議論の中で、そういうアイデアを口にした。 

 申し訳ないが、政界から参加する議員は、通訳抜きで米側と議論出来ることが必須の条件だ。 日本大使館や領事館の助けがないと(もちろんサポートしてもらうに越したことはないが)米国側とのアポも対話も出来ないような「単なる議員連盟」を作っても意味がない。 

 あくまで主体は民間の交流メカニズムにするのがいいと思う。 大きなイベントを打ち上げて終わるような会ではなく、長く続く枠組みにする。 そう考えると、政界は超党派でメンバーを組むべきだ。 若手の国際派も、どんどん仲間に引き入れていく必要がある。

 日本と米国西海岸(ベイエリア)との間にこんな対話の仕組みが出来るなら、自分も末席の政界メンバーとして、ぜひ、加わらせてもらいたいと思う。

 サンフランシスコ滞在中、エド・リー市長に会うことが出来た。 日本の大臣でも、サンフランシスコ市長とアポを取るのはかなり難しい。 明らかに、Japan Dreams Projectのお蔭だ。 科学技術イノベーション政策、日本とベイエリアとの連携強化の可能性等について、意見を交わした。 メンバーとの写真はともかくとして、よく、エド・リー市長が山本一太のvine(6秒動画のメッセージ)に登場してくれたと思う。

 噂どおりの気さくで、チャーミングな人柄。 常に様々な層の市民の声に耳を傾けている。 サンフランシスコ市民に人気が高い理由がよく分かった。 何しろ、選挙、強いもんなあ。

追伸:自分は謙遜なんかしていない。 山本一太の英語力は(冷静に分析して)「政策の議論が出来る最低のレベル」だ。 だから、自分より英語の出来ない人間は(政治家でも官僚でもマスコミ人でも)、「英語が出来る」とは言えない。(キッパリ)

 その意味で言うと、今の総理官邸に「英語でちゃんと政策を語れるひと」は、僅かしかいないと思う。 まあ、外務省出身の総理秘書官は自分よりずっと英語に堪能なはず(実際に聞いたことはないが)だし、総理の外交演説を手がける谷口智彦内閣審議官(今は内閣府参与?)は、間違いなく達人のレベルに達している。 ふうむ。 他にはちょっと思い当たらない…なあ。 日本政府は谷口氏のような人材を大切にしたほうがいい。

 そうそう、国際広報担当の首相秘書官を設ける提言も、どこかでちゃんと書かないと。


「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」