2014年5月6日

 夜10時過ぎ。 熱いココアを飲みながらのブログ。 昨晩、米国スペースX社の実験機「グラスホッパー」が、宇宙空間から帰還する夢を見た。 最近、宇宙船が頭から離れない。(笑) 一体、どうしちゃったんだろう?!

 内閣府特命担当大臣としての2度目の米国出張について報告する。 GWを活用して、米国西海岸(サンフランシスコとシリコンバレー)、ワシントンDC、ニューヨークを訪問した。

 厳しいスケジュールだった。(ふう) 米国滞在中は、時差と講演等の準備で睡眠不足が続いた。 が、ワクワクする毎日だった。 無駄な日程は1つもなかった。 自分の中で「ちっちゃな意識革命」もあった。 いろいろな意味で、「尻尾までアンコの詰まったたい焼き」みたいな6日間だった。

 今回の米国出張に同行してくれた内閣府の科技国際チーム、IT総合戦略本部のスタッフ、領土室のメンバー、NISC職員、内閣府参与のウイリアム斎藤氏、2人の大臣秘書官に心から感謝したい。 ワシントンDCの米国大使館、サンフランシスコとニューヨークの日本領事館、ジャパンソサエティー事務局にもお世話になった。 皆さん、ありがとうございました!

 先ほど、テレビのニュースで、パリで開催されたOECD閣僚会議における安倍首相の基調講演が取り上げられていた。 なるほど、パンチのある発信だ。(ニッコリ) スピーチの後で、安倍首相がグリアOECD事務総長と握手を交わす映像もあった。

 実は、4月の下旬に来日したグリア事務総長(メキシコの元財務大臣)と大臣室で会った。 2度目の会談だった。 「山本大臣、OECD閣僚会議で待ってますよ。閣僚会議の前のフォーラムでも、パネリストをやってくれるそうですね!」「ええ、グリア事務総長。今、総理官邸で大臣出張の日程を調整してもらっています。何とかパリに足を運べるよう努力します!」

 結局、パリのOECD閣僚会議には行けなかった。 グリア事務総長、2度もお誘いいただいたのに、ごめんなさい! 閣僚の海外出張日程を調整していた菅官房長官には、「どちらを取るかと言われれば、米国出張を優先したい」と伝えてあった。 

 最終的に、日本からは、安倍総理+4人の閣僚がOECD閣僚会議に参加したと聞いた。 米国訪問を諦めてOECDに的を絞っていれば、恐らく5人目の閣僚になれただろう。 こっちも本当に行きたかった。 OECDのフォーラムで(通訳抜きで)パネリストを務めた日本の閣僚って、あまりいないのではないか。 それはそれで、貴重な経験になったと思う。 

 が、実質的に二者択一を迫られる中で、2度目の米国訪問を選んだ。 大臣としてのカッコや形式ではなく、中身を取りたかったからだ。 結論から言うと、正しい選択だったと確信している。

 米国での講演や会談、懇談は、ほぼ全て英語で通した。 サンフランシスコでのディナーセッションのスピーチも、翌日の昼のPWCセッションのプレゼン+議論も、普通はなかなか会えないエド・リー・サンフランシスコ市長との会談も、シリコンバレーでのベンチャー企業CEOとのやり取りも、全部、英語でやった。 というか、やらざる得なかった。(笑)

 ワシントンDCでのローラバッカー下院議員との朝食会も、サイバーセキュリティー政策に詳しいランジェビン議員との情報交換も、ホルドレン大統領補佐官との会談も、国防総省、NSC(国家安全保障会議)、DHS(国土安全保障省)での意見交換も、米国人有識者との昼食懇談会も、サイバー企業関係者との夕食会も、一切、通訳は使わなかった。

 ニューヨークのジャパンソサエティーでの講演も、講演の前の米国某金融関係者との懇談も、怯まずにブロークンイングリッシュを貫いた。 ただし、30分の英語の講演後の質疑応答では、こちらが答える部分だけ、(ウィリアム斎藤氏に通訳を頼んで)日本語でやらせてもらった。 サイバー分野の語彙が少なかったこともあり、不正確な回答になることを恐れたからだ。 

 毎回、心の底から思った。 ああ、米国留学時代に、英語をもっと勉強しておくんだった、と。(笑)

 あ、携帯が鳴っている。 この続きは「米国出張報告その2」で。

 
「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」