2014年3月8日

 前回のブログにも書いた。 安倍政権の「日本再興プロジェクト」が頓挫したら、この国は2度と立ち上がれないだろう、と。 安倍総理を応援しているのは、安倍首相を個人的に敬愛しているからだけではない。 安倍内閣の存続が、日本の国益に直結すると確信しているからだ。

 だからこそ、安倍総理の近くに仕える人々、特に官房長官には、全身全霊で総理を支えてもらわねばならない。 何しろ、国家機密を知る立場にあるのだ。 より高いモラルが求められる。 

 本当に申し訳ないが、内閣官房長官とは、私的な事情や都合は全て後回しにして、危機管理に全力を注がねばならないポストだと思う。 少しでも疑われるような行動は慎むのが、官邸スタッフの最低限の心得だ。 本当に総理のためを思うなら、そうならざる得ない。 いや、必ずそうなるはずだ。

 菅義偉官房長官は、安倍政権の成功(=日本再生)を熱望する人々の思いを背中に感じている。 これまで、期待を裏切ったことは一度もない。 自らを厳しく律しながら、「総理のため」に踏ん張ってくれている。 総理の後ろ盾を使って自身をアピールしようなどという小賢しい思惑は、微塵も感じられない。

 そもそも、安倍総理と菅長官が親しくなった最初のキッカケは、2005年の「北朝鮮経済制裁シミュレーションチーム」(座長:菅義偉、事務局長:山本一太)だった。 このチームの発足を提案したのは、2本の対北朝鮮経済制裁法を(河野太郎氏や水野賢一氏とスクラムを組んで)成立させた山本一太だった。 その意味で言うと、安倍総理と菅長官を結びつけるために一定の役割を果たしたと自負している。(笑)

 2006年、第1次安倍政権が誕生。 菅氏は総務大臣として入閣した。 最初は飛ぶ鳥を落とす勢いだった安倍内閣も、途中から乱気流に巻き込まれた。 内閣支持率が高かった時は、「全て自分たちの作戦どおり。あれもこれも実はオレが考えた。メディア戦略が功を奏した」などと巧みに自己アピールしていた人々が、政権が窮地に陥るや否や、途端に「責任回避モード」にチェンジした。(ガクッ) 

 そうした雰囲気の中にあっても、菅総務大臣は最後まで総理を庇い続けていた。 自分は、一部始終を、政権の外からじっと見ていたのだ。

 そして2007年のあの衝撃の辞任記者会見。 安倍総理にとっては、政治家として堪え難い屈辱だったに違いない。 その後も、筆舌に尽くし難い苦しみを味わったはずだ。 自分を含め、安倍総理を一途に支持して来た人たちにとっても、本当に悔しくて、辛い瞬間だった。

 当然、安倍総理は世の中から厳しい批判を浴びた。 マスコミはもちろん、同僚議員も、地元有権者も、経済界も辛辣だった。 「途中で放り出すなんて考えられない!何というザマだ!」「安倍総理は精神も体力も弱過ぎる!親衛隊がもてはやすからいけない!」 総理が辞任した後、(しばらくの間は)どの会合に顔を出しても、悪口が飛び交っていた。

 批判されても仕方がないとは思いつつ、時には、「そこまで言わなくてもいいじゃないか!」と反論してしまうことも。 ある宴会で、親しい議員と怒鳴り合いの喧嘩になったこともあった。 ちなみに、この時、安倍総理に対して誰が何を言っていたのか、全て頭の中の記憶版に刻んである。

 当時(6、7年前)のブログには、もしかするとその頃の心情が綴られているかもしれない。 マスコミにも、政界にも、「カムバックどころか、これで政治生命は終わった」と言う人が多かった。

 自分は「安倍総理が終わった」とは思わなかった。 が、「世の中の評価をひっくり返すのは並大抵のことではない。かなり時間がかかる」と感じていた。 「いっそのこと一度政界を離れ、何年か世界中を回った後で政治に復帰してもらったほうが、復活のチャンスは大きくなるのではないか」とさえ考えていた。 実際、本当の安倍シンパには、同じような感覚の人が多かった。

 にもかかわらず、安倍総理が不本意な辞任を余儀なくされた直後から、一貫して「必ず次のチャンスが来る」と言い続けていたのが、他ならぬ菅義偉衆院議員(現官房長官)だった。

 あ、携帯が鳴っている。 この続きは「安倍内閣を支える菅官房長官の覚悟:その3」で。


「fs山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」