2013年6月2日

 午後1時過ぎ。 高崎から東京に向かう新幹線車中からのメッセージ。 この後は東京日程。 今日中に終わらせねばならない大事な仕事が幾つかある。 合間を見ながら、ブログもまとめて更新する。

 さて、昼12時から高崎市内で、柳沢本次元県議(88歳)の米寿の祝賀会があった。 群馬県議会に7回連続で当選。 あらゆる要職を歴任した県政界の重鎮だ。 義理堅くて、誠実で、人情味がある。 いかなる状況でも、政治の筋を曲げない信念の持ち主。 まさに「ミスター上州人」だ。 

 押しも推されぬ実力者になった後も、古い政治ボスのような手練手管や恫喝の手法は使わなかった。 人望の厚さは他の追随を許さない。 人間力で回りを動かし、組織をまとめていく。 こういう人物こそ、「ベテランの叡智」と呼ぶべきだろう。

 若い頃は、旧箕郷町(昔の群馬5区)の町長として名を馳せる。 県議会に入ってからも、生粋の福田系県議として活動した。 福田系県議団グループ(同志会)のまとめ役として、福田赳夫元総理、福田康夫元総理の地元活動を支え続けた。 ちなみに、県議会議員としては、亡父・山本富雄の1期後輩にあたる。 中選挙区時代、いわゆる福中対決の時代に、亡父と柳沢氏は、同じ福田系グループの盟友だった。

 政治改革の流れ(=小選挙区制への移行)の中で、中選挙区でしのぎを削って来た福田系、中曽根系、小渕系の対決は消滅した。 3年前の中曽根弘文参院議員会長の選挙は、群馬の保守勢力が名実ともに合体した「歴史的な戦い」だった。 この選挙で、中曽根弘文会長の再選のために奔走したのも、福田派の大番頭を務めていた柳沢本次氏だった。 

 中選挙区時代の群馬4区は、小選挙区の4区と5区に分かれた。 柳沢元県議は、5区の支部長になった小渕優子衆院議員の連合後援会長に就任。 次世代政治家の活躍もガッチリと後押ししている。

 柳沢本次元県議の政治家としての歩みは、戦後の保守王国群馬の軌跡と重なっている。 柳沢氏のスゴいところは、4人の総理を誕生させた保守王国の伝説に貢献しているだけでなく、小渕優子氏や福田達夫氏のような将来のスターを育て、歴史を未来に繋ぐ役割も担おうとしていることだ。

 福田康夫元総理、中曽根弘文議員会長に続いて、来賓の挨拶に立った。  最後にご本人のほうを向いて、こうお願いした。 「柳沢先生、まだまだやっていただかなければならないことは山ほどあります。小渕優子さんもこれから政治家として大きく飛躍するところですし、昨年デビューした福田達夫代議士にも、一歩、一歩、王道を歩んでもらわねばなりません!それと、夏には私の選挙もありますので!」 ここでドッと沸いた。

 次の言葉で締めくくった。 「私は科学技術担当大臣ですが、再生医療も予防医学も、日進月歩で進んでいます。柳沢先生には、130歳くらいまで元気でいてもらって(笑)、保守王国群馬の行く末を見守っていただきたいと思います!」 そのまま高崎駅に向かい、東京行きの新幹線に飛び乗った。 文字通り、「とんぼ返り」だ。

 あ、もう東京。 この続きは「柳沢本次元県議への感謝とお詫び:その2」で。


山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」「マルガリータ」「かいかくの詩」