2012年8月15日:パート2

 早朝の新幹線で高崎に向かっている。 昼の「群馬県戦没者追悼式」を挟んで、今日も終日、新盆回りをやる。 前橋、北群馬、渋川が中心だ。

 数日前、世耕弘成国対委員長代理と電話で話をした。 今後の政局の展望について意見交換した。 世耕氏と自分は、性格も、政治家としてのスタイルも、戦略も、思考回路も、かなり違う。 最も大きな違いは、世耕議員の頭脳が、山本一太より「100倍、緻密なこと」だ。(笑)

 たとえば、河野太郎氏を擁立した前回の自民党総裁選挙の後、自分は(誰にも相談せずに)派閥からの退会を決めた。 総裁選の最中に、既存の派閥をあそこまで批判しておきながら、自らが派閥にとどまることを自分自身に説明出来なかったからだ。 これに対して、世耕氏は、(戦略的な判断で)派閥を出ないという道を選んだ。 今の情勢を見ると、「さすがだ、な」と思ってしまう。

 2年前の参院自民党議員会長選挙に続いて、昨年の参院自民党役員の改選でも、スクラムを組んだ。 が、勝負には勝てなかった。 結果、山本一太政審会長は更迭の憂き目に!(ガクッ+笑) 対して、世耕氏は、中曽根議員会長の強い要望もあって、幹事長代理から国対委員長代理に横滑りした。 新しい執行部に踏みとどまったのだ。 ここらへんの俊敏さも、尊敬に値する。(笑)

 もちろん、世耕氏が執行部に残り、国対に「ワッキー&ヒロシゲ」という最強コンビが誕生したことは、参院自民党にとって大きなプラスだった。 しかも、2年前の参院自民党議員会長選挙で、当初は中曽根候補を支持するかどうか迷っていた世耕氏を、「中曽根議員会長が実現したら、必ず2人がセットで中曽根会長を支える体制を作る!オレが責任を持って、会長にお願いする!」と言って説得したのは、他ならない山本一太だった。 

 世耕氏が参院4役に入れなかったのだから、(政治家の信義として)政審会長を譲るべきだった。 今でも、申し訳なかったと思っている。 その意味でも、(ちょっぴり心配な点はあったが)世耕氏が国対委員長代理になったことは、嬉しかった。

 政治家としての手法や思惑は違っても、いったん「戦略的同盟」が成立すれば、これほど「たのもしい盟友」はいない! むこうも、そう思っているはずだと、勝手に信じている。(笑X2)

 何しろ、世耕氏の情報力と緻密な戦略、山本一太の発信力と攻撃力が合体するのだ。(笑X3) 加えて言うと、2人で手がけたプロジェクトで、大事な情報が途中で外部に漏れたことは、ただの一回もない。 自分にとっては、そこが「一緒に戦えるかどうか?」の最大のポイントだ。 

 たった一度の「小さな奇跡」だった参院議員会長選挙での勝利も、河野太郎氏の総裁選挙への擁立も、多くの仲間と力を合わせたからこそ、実現した。 それでも、「山本・世耕コンビ」が手を組んでいなかったら、中曽根会長を当選させることも、河野太郎氏を出馬させることも、出来なかった。(キッパリ) ライバル陣営だって、そう見ていたもの!

 お盆休みが明けたら、久々に「YS懇談」をやる。 テーマは、自民党総裁選挙だ。 果たして、「山本・世耕同盟」は、立ち上がるだろうか???

 あ、間もなく高崎のアナウンス。

 
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