2012年7月18日:パート4

 午後5時40分。 議員会館事務所にいる。 先ほど、早めの夕食を済ませた。 「運動メニュー」は、朝のうちに終わらせてある。 今晩は、少し落ち着いて、「たまっている宿題」を片付けてしまおう。

 次の参院選挙まであと約1年。 地元秘書たちのギアが、ようやく一段、上がった。 本人の危機感が伝わっている証拠だ。 以前のブログにも書いたが、右腕だった秘書の急逝を受けて、事務所のフォーメーション(担当地域)も、思い切って組み直した。 

 さっそく、新体制に衣替えした効果が現れている。 「動いていなかった組織や地区」が、再び稼働を始めているもの!(ニッコリ) 群馬県各地の選挙態勢や戦術についても、次第にイメージが固まりつつある。 問題は、群馬県最大の経済都市である高崎市の戦略が、頭の中でうまく描き切れないことだ。 「山本一太の感覚」をかなりの精度で実現出来る「スーパー営業マン」を失ったせいだ。(ため息) 

 高崎担当だった矢嶋学が亡くなってから4ヶ月。 高崎が停滞している。 実際、他の地域からは、連日のように会合の知らせや後援会の現状、地区の動向等が伝わって来るのに、最も「いろいろなこと」が起こっているはずの高崎からの情報が、ほとんど手元に上がって来ない。(???) こんなこと、半年前には、考えられなかった。

 一体、なぜだろうか? 中選挙区時代には覇を競っていた福田系、中曽根系、小渕系の支持者の方々とも、スムーズにいっている。 福田達夫秘書はいつでも電話をかけられる間柄だし、高崎選出の県議とも悪くない。 高崎で会う人々の反応も、かなり好意的だ。 「一太さん!高崎の会合の連絡が、ほとんど来ないんですよ!」 亡父の時代から支えてくれている東京のベテラン秘書も、首を捻っていた。 

 「得難い人材」を失ったダメージは、予想以上に大きい。(ふう) 矢嶋がいなくなったことで寸断されてしまった(?)「地域の人々との繋がり」を修復するのは、骨の折れる作業になるだろう。(ため息) もっと努力しないと!

 そうは言っても、最初から分かっていたことだ。 誰も矢嶋秘書の代わりは務まらない、と。(ため息X2) いろいろと考えてみたが、この「恐るべき喪失」をカバーするためには、山本一太自身が頻繁に高崎に足を運ぶしかない。 そういう結論に達した。 

 すなわち、高崎地域に関しては、自分が陣頭指揮を執るということだ。 様々な場所に自ら足を運び、有権者とのコミュニケーションの密度を高める。 そうすることで、これまでの人間関係を維持し、新たな人脈を広げていく。 この方法以外にはないと悟った。 幸い、高崎までは新幹線で約1時間。 日程を見ながら、(時間の空いた時は)サッと往復することに決めた。

 新しく高崎市の担当になった高崎在住の秘書は30代。 地元の土地勘を生かし、常に効果的な挨拶回りのルートや訪問先のリストを準備しておくように指示した。 山本一太の「スクランブル発進」に対して、「いつでも対応出来る態勢」を整えてもらわねばならない。 2人で協力して、高崎地区の失われたコンタクトを回復させ、人間関係の輪を広げていく努力を積み重ねていく必要がある。 

 大丈夫! 「必要は発明の母」って言うでしょう。 危機感をバネに、逆に「高崎との絆」をより強いものにしてみせる!!(断言)

 あ、そろそろ行かないと。

  
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