2011年12月10日

 参院自民党の議員総会に出る度に、ため息が出る。 「新しい参議院」を創る試みが完全に頓挫したことを、毎回のように思い知る。 同時に、ふたつのことが頭に浮かぶ。 

 ひとつは、「政治は負けたら何の意味もない」ということ。 もうひとつは、「この失敗のツケは、全て次の参院選挙で支払わねばならない」ということだ。 そして思う。 過去3回の選挙で、「旧来のシステムに安住する議員たち」は、ほとんど落選した。 次も「同じこと」が起こるだろうか、と。 いや、きっとそうなる。 そのことを見届けるためにも、自分は生き残らねばならない、と。

 過去15年間、自民党議員として踏ん張って来た。 逆境の時も、党にとどまって頑張って来た。 党として「議論を尽くして決定したこと」については、苦しくても、逃げずに主張して来た。 「党改革」をあきらめたわけではない。 でも、民主党政権がここまで酷くなかったら、どこかで自民党に絶望していたかもしれない。 参院改革の失敗と、それに伴う参院自民党の存在感の凋落、危機感の欠如を目の当たりにしながら、時々、何かがブチッと切れそうになる。 胸の底から湧き上がって来る「憤怒」を抑えられなくなる。 

 少し前に、誰かが誰かに、こう言ったそうだ。 「そんなことをしたら、山本一太を敵に回しますよ!」と。 え? 自分は敵になんかなった憶えはない!(笑) 自分が敵に回るということは、生涯、その人物と戦い続けるということを意味する。 もはや、そこに「損得」や「計算」はなくなる。 常に相手の動向を注視し、弱点を探し、攻撃のチャンスを狙い続ける。 

 そうなったら、政治家を引退した後も、追尾は止まらない。 場合によっては、毎日、何年でもこのブログに実名を書き、ミサイル攻撃を繰り返す。 そのくらいの「覚悟と激情」に突き動かされて政治家をやっているのだ。 「敵に回す」なんて表現を、軽々に使わないでもらいたい!!(怒・怒)

 「言葉」は、人格そのものだ。 このブログからは、山本一太という政治家の「欠陥だらけの人間性」が溢れ出ている。(ガクッ) 中身については、当然、賛否両論あるだろう。 インパクトが強いだけに、反発も大きいはずだ。 が、「あのブログには、マイナス面も多い。本人のためにもならない!」などと囁いている政治家に限って、何か都合の悪い(けっして暴かれたくない)秘密を抱えている。 「直滑降の情報バンク」と見事に一致するんだよな、これが!(苦笑)


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