2011年10月21日:パート2

 間もなく午前零時。 少し遅めの時間(午後10時)から親しい友人とお茶を飲んだ。 毎日、戦っているそのひとは、とても元気そうだった。 雨が降っていたので、今晩は歩かなかった。 

 昨日も夜9時30分から、大事な友人に会った。 「一太さん、思ったことは、やっぱりブログに書いたほうがいいですよ!」と話していた。 ネット番組「直滑降ストリーム」を再開することも決めた。

 今日の午前中、久し振りに吉田博美参院議員と会った。 議員会館事務所の応接室で、30分近く言葉を交わした。 何を話したのかは、書かない。 が、今回の役員人事騒動に対する2人の分析は(人物評も含めて)、ほとんど一致していた。(驚) 同じセリフが、何度か口をついて出た。 「なるほど、やっぱり、そういうことだったのか!」と。

 役員人事をめぐる内部対立が表面化して以来、小坂憲次幹事長の続投に反対した吉田博美氏や石井準一氏とは、(本会議場や参院本館の廊下で短い言葉を交わした以外は)完全にコンタクトを断った。 お互いに「分かりにくいこと」(敵方と内通するみたいなこと)は出来ない質だからだ。 え? 間違っても、舞台裏で暗躍していた(?)元大物議員に、こちらから会いに行くようなことはしない!(ガクッ)

 過去のブログにも書いた。 自分は、「中途半端な味方」より、「終始一貫した敵」を尊敬する。 何とか勝ち馬に乗ろうとズル賢く立ち回る議員より、ハッキリしていて、ずっと信用出来る。 その意味で言うと、「直滑降ブログ」で、吉田氏と石井氏を「手強い相手」と評したのは、最大の讃辞だ。 

 参院自民党の特別総会で、2度に渡って「敵方の切り込み隊長」を務めたのは、石井準一氏だった。 当然、中曽根陣営の怒りを買った。 自分が政審会長(=人事の当事者)でなかったら、間違いなくその場で反撃していた。 激しいやり合いになっていただろう。 

 でも、自分は「誰もやりたがらない損な役目」を買って出た石井氏の胆力と度胸に、(同じ政治家として)ある種の好感を持った。 「姑息な寝技」ではなくて、「分かりやすい立ち技」だ。 もし山本一太が反執行部陣営だったとすれば、同じ役割を演じていたに違いない。

 他方、小坂幹事長交代の流れを作った吉田博美氏は、新しい執行部で何の役職も求めなかった。 「ポスト狙いでやった」と思われたくなかったからだと勝手に解釈している。 ここらへんが、いかにも吉田さんらしい。 ポストを受けなかったことで、逆に吉田博美氏の求心力は高まったのではないか。

 吉田博美氏と石井準一氏。 この2人は、「敵ながらあっぱれ」だと思った。 派閥や参院改革に対する意見は違っても、政治家としての付き合いは(むこうがイヤだと言わない限り)続けたいと考えている。 あ、お湯が沸いた。 次回のブログに続く。

追伸:今から1年前、初めてのオープンな議員会長選挙で中曽根氏が選ばれた。 呆然とした表情で会場を立ち去る3派の人々。 その時、吉田氏が近づいて来て、握手を求めて来た。 「一太さん、いろいろあったけど、そっちが勝った。選ばれた限りは、思う存分、やって欲しい。頑張ってください!」と。 なかなかカッコいいと思った。   


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