2011年10月15日:パート2

 東京に向かう新幹線(のぞみ)の中で、ちょっとだけ眠った。 京都駅の売店で買ったミルクティーを飲みながら、ブログの続きを書く。

 政治家って、他人がやったことでも、「オレが(私が)やってあげた」みたいなことを言う。 皆で考えたことでも、「実は全部、オレの(私の)アイデアでした。私が全部、根回ししました」などと喧伝する。 嫌いだな、こういうヤツは! しかも、相手によって、言い方が全然、違っている。(ムカッX10) 自分は、誠実に、真っすぐやろう。 守るべきものを守るために!!

 え? かなり吹っ切れているみたいだって?! そんなの、あたり前じゃないか! この状況で違うほうの肩をもったら、人間性を疑う。 というか、正面から攻撃する!! ウォッチしてますから、ね。

 さて、政治家になって16年。 これまで政府や党の役職(ポスト)に執着した記憶は、ただの一度もない! 村上正邦氏と青木幹雄氏という「2大実力者」に続けて真っ向から逆らって来たのだ。 当然のことながら、委員長も副大臣も、同期の中では最後のほうだった。 気がつくと、自分より当選期数の若い「茶坊主政治家たち」に、簡単に追い抜かれていた。(笑)

 福田内閣で「ずっとやりたいと思っていた外務副大臣」に就任した。 が、福田総理の突然の辞任の後に行われた自民党総裁選挙に手を挙げた際に、(ケジメとして)アッサリ辞めた。 結局、副大臣の任期は1ヶ月弱だった。(ガクッ) 律儀で信義に厚い安倍晋三元総理が、山本一太を大臣にしようとして青木幹雄氏(当時、参院自民党議員会長)に阻まれた時も、特段、悔しいとは思わなかった。 だいいち、これは、安倍総理が自分を首相補佐官にも閣僚にも出来た内閣発足時に、テレビ等で「ポストが欲しくて安倍さんを応援したのではない!何の役職も受けない!」などと突っ張ったのが悪い。 自業自得ってヤツだ。(笑・笑)

 が、しかし、今から1年前に自ら戦いの先頭に立ち、仲間と力を合わせて「死に物狂いで」誕生させた中曽根議員会長の体制の下で任命された「参院自民党政策審議会長」は、何があっても続けたいと思っていた。 自分にとっては、「1年間やれば飛躍的に存在感を高める自信のあった」外務副大臣より、ずっと大事なポジションだった。 いや、閣僚か参院3役のどちらをとるかと言われれば、迷いなく参院の役職を選んだと思う。 だから、生まれて初めて、ポストに固執した。 なぜ、そこまでして残りたかったのか? その理由は、これから時間をかけて、ここで明らかにしていきたい。

 え? あと20分で東京?! あちこちで物議を醸したブログ「直滑降ブログの火に集まる危ない情報虫たち」の反省を書こうと思ってたんだけど...なあ。 この続きは、次回のブログで。 タイトルは、「永田町デスブログから政界ウィキリークスへ」にしよう。(笑)


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