2011年10月10日:パート5

 間もなく午前零時。 東京の部屋。 熱い紅茶を飲みながら、本日5本目のブログを書く。 

 今から8年ほど前、群馬県中之条町に、40歳の町長(群馬県最年少町長)が誕生した。 実力者だった現職町長を破って当選を果たしたのは、入内島道隆(いりうちじま・みちたか)氏。 当時の町長も安定感のある立派な人物だったが、町民は未知の可能性を選択した。

 以来、この若い町長は、議会対策に苦しみながらも、新しい感覚の「まちづくり」に邁進して来た。 就任早々、NHKの朝ドラ「ファイト!」のロケ地に選ばれたことを活用して観光の強化を図り、「中之条ビエンナーレ」という芸術祭で新風を巻き起こした。 

 町の経済活性化に繋がるインフラ整備や公共事業の重要性は訴えつつも、様々な形で「中之条町の未来構想」を打ち出して来た。 2期8年で、財政健全化をほぼ実現すると同時に、この間、中学校までの医療費の無料化や住宅リフォーム制度を県内で最初に実施した。

 さらには、「生活習慣の修正による増税なき社会保障費」という画期的なコンセプトを打ち出し、これも県下発の試みだった「ナカノジョウ大学」を90講座、4000人以上の受講生を持つプロジェクトに育て上げた。 自分は、就任当初から、入内島町長の挑戦にずっと注目して来た。 斬新で、刺激的で、それでいて地に足がついている。 中之条町民の方々の選択は間違っていなかったと確信している。

 入内島町長には、(町長就任前に)吾妻郡の山本一太若手応援団「新風会」の幹事長も務めてもらった。 ひとことで言うと、「兄弟のように親しい関係」だ。 僭越ながら、「本当の弟」のように思っている。 町長のほうも、山本一太の「発信力」や「発想力」を認めてくれている。 自分にとっては、切磋琢磨しながら「新しい政治の姿」を模索して来た同志のような存在だ。

 その入内島町長の2期目の任期は来年の1月。 3回目の選挙に出馬すべきかどうか、町長本人が悩んでいるという話が伝わって来た。 さっそく、2人だけで会った。 昼食を食べながら、じっくりと言葉を交わした。 結論から言うと、態度を決めかねている町長に「3選出馬」を強く勧めた。 「最後は、政治家として町長が自分で判断することだ。でも、オレは、ぜひ、続けて欲しい思っている。8年間でやっと町長の望む流れが出来た。大きな可能性を秘めた中之条ビエンナーレや無借金経営の実現を含め、新しいまちづくりが結実するのは、次の4年間ではないか!」と。

 次のことだけは、ハッキリ言っておいた。 「そりゃあ、ぜひ、出て欲しいけど、出馬しようとしまいと、最後は町長の判断を支持する。何しろ、大事な友達だもの!(笑)でも、これだけは憶えておいて欲しい。もし出馬を決めて選挙になったとしたら、いかなる場合も、自分は全面的に入内島町長(現職候補)を応援する。仮に相手陣営に、山本一太後援会の幹部がついたとしても、説得して理解してもらう!」

 ひと息ついて、こう続けた。 「旗色が悪くなっても、負けそうになっても、一切、関係ない!これは、損得抜きの話だ。山本事務所のスタッフを引き連れて、赤とグレーの遊説カーで何度も応援に入るから、ね!」 

 あ、腹筋と背筋の時間だ。 この続きは「入内島道隆・中之条町長の3選出馬を強く望む!:その2」で。
 

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