2011年7月3日:パート4
次の日程まで、少し時間がある。 あ、昼のテレビ朝日「サンデースクランブル」(15分程度のコーナー?)に、自民党を離党して総務政務官になった浜田和幸議員が出演するはずだ。 自分は出演依頼を断ったが、自民党から誰か出るのだろうか? 後で見る時間(価値)があるかどうかは分からないが、録画予約だけはセットしておいた。
さて、「浜田和幸参院議員の許し難いウソ」のシリーズを始める前に、村上正邦元参院議員会長の「不可解な動き」について触れたい。 村上氏は、ここのところ、2回続けて参院議員全員に手紙を送っている。 最初の手紙には、(ザッと目を通しただけだが)「国難にあたって、個々の参院議員が党議拘束に縛られずに行動せよ!」みたいなことが書いてあった気がする。 数日前に届いたばかりの2度目の手紙では、浜田和幸氏の行動を絶賛していた。
村上正邦氏と言えば、かつて「参院のドン」とまで呼ばれた政界の大実力者だった。 村上氏が権力者の階段を上り始めるキッカケは、亡父(山本富雄)の急死を受けて、参院自民党の幹事長に就任したことだった。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった当時の「村上法王」に、ただ1人、公然と逆らい続けたのが、山本一太だった。 当選して数ヶ月後に行われた自民党総裁選挙では、初めて立候補した同じ派閥の小泉純一郎氏を応援した。 村上幹事長(当時)が、「参院を橋本龍太郎候補支持で強引に一本化しようとした」ことには、猛然と噛み付いた。 小泉元総理が出馬を表明した直後、参院で小泉支持を鮮明にしたのは自分だけだった。 今でも、よく憶えている。 村上幹事長に呼ばれて部屋(幹事長室)に入ると、数名の幹部に囲まれたドンが座っていた。 泣く子も黙る参院の実力者が、少し柔らかいトーンで言った。 「それで、参院で小泉をやっているのは、あなたの他に誰なんだ?」と。 語気を強めてこう答えた。 「今のところ、私だけです!」
幸か不幸か、村上氏とは、最初からボタンの掛け違いがあった。 その後は、「子猫がライオンに爪を立てる」ような状況が続いた。(ガクッ) 40歳になったばかりで、まだ「恐いもの知らず」だった。
村上正邦氏の子分だったことは一度もない! したがって、睨まれたり、怒鳴られたりしたことはあっても、お世話になったことは、ただの一回もない!! 村上幹事長が議員会長になり、権力の頂点を極めた後も、村上氏の専制君主的な手法を一貫して批判し、反発を繰り返していた。
が、しかし、(本音を言うと)この「あまりに強大な政敵」が、嫌いではなかった。 今だから白状するが、常にエネルギッシュで、直情径行で、実は繊細で、何かというと「参院の独自性」を叫んでいた村上氏が、意外と好きだった。 「ああ、この人は、いったん面倒を見たら、最後まで見捨てない。そういう男気があるんだろうなあ!」と感じていた。
全盛期の村上氏の暴走を牽制する唯一の存在だったのが、参院経世会のまとめ役だった青木幹雄氏だ。 青木氏は、村上幹事長時代には筆頭副幹事長として、村上議長時代には幹事長として、村上氏にブレーキを利かせていた。 青木氏の力の源泉は、最大派閥(経世会)の数だった。 これに対して、村上氏は、参院自民党内にゼロから自らの派閥横断グループ(革正会)を作り上げた。 そこは、ちょっぴり「カッコいい」と思っていた。
参院の「尊師」とまで揶揄された村上正邦氏が失脚し、青木幹雄氏が最高実力者の座を引き継いだ。 小泉総理(当時)と結ぶことで、青木氏は(参院のみならず)、政界全体に大きな影響力を持つことになる。 特に参院は、「ミキオハウス」と呼ばれるほど、青木氏の力が強くなった。 そして、自分は(後に森内閣で官房長官になる)この大実力者とも、真っ正面から戦うことになる。(ふうX10) 青木体制とは、文字通り「派閥談合と長老支配」のシステムだったからだ。
時々、こんなふうに思う。 村上氏や青木氏に「寄らば大樹のカゲ」でお世辞を使い、ポストの恩恵にあずかっていた「茶坊主政治家たち」より、この2人に真っ向から逆らって来た「素浪人・山本一太」のほうが、実はこの2人の政治家のスゴさ(恐ろしさ)を理解しているのではないか、と。(笑)
それはそうとしても、いわゆる「KSD問題」で逮捕され、政界を去ったかつての実力者が、現職の参院議員全員に手紙を送り、政局に影響を及ぼそうとする。 このこと自体、一般国民から見ると「異様な光景」に映るだろう。 こんなことが報道されただけで、国民は「なあんだ。やっぱり、自民党は長老支配の政党なんだ、な!」という印象を持つに違いない。 次の選挙でも、間違いなくマイナスに働く。
村上正邦氏の狙いはよく分からない。 が、こんなふうに参院自民党をかき回すのは、ぜひ、やめていただきたい!!
追伸:村上正邦氏から届いた2通目の手紙「衆・参両院議員に訴える」をもう一度、読んでみた。 その中に、こんな一節がある。
「わたしは、今回の浜田議員のやむにやまれぬ英断に、深い感銘を受けました。これこそ、理念なき政党の迷走に、決然として終止符を打ち、新しい参院議員としての第一歩を雄々しく踏み出した勇気ある行動だったと思います。志を立てた以上、いかなる中傷や攻撃、謗りを受けても、志を貫く覚悟が、真(まこと)の政治家です。」
自分には、今回の浜田議員の行動が、やむにやまれぬ英断とはとても思えない! なぜ、そう思うのか? 中傷ではなく、事実に基づいて、その理由を明らかにしたい。 「浜田和幸参院議員の許し難いウソ:その2」で口火を切る。
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次の日程まで、少し時間がある。 あ、昼のテレビ朝日「サンデースクランブル」(15分程度のコーナー?)に、自民党を離党して総務政務官になった浜田和幸議員が出演するはずだ。 自分は出演依頼を断ったが、自民党から誰か出るのだろうか? 後で見る時間(価値)があるかどうかは分からないが、録画予約だけはセットしておいた。
さて、「浜田和幸参院議員の許し難いウソ」のシリーズを始める前に、村上正邦元参院議員会長の「不可解な動き」について触れたい。 村上氏は、ここのところ、2回続けて参院議員全員に手紙を送っている。 最初の手紙には、(ザッと目を通しただけだが)「国難にあたって、個々の参院議員が党議拘束に縛られずに行動せよ!」みたいなことが書いてあった気がする。 数日前に届いたばかりの2度目の手紙では、浜田和幸氏の行動を絶賛していた。
村上正邦氏と言えば、かつて「参院のドン」とまで呼ばれた政界の大実力者だった。 村上氏が権力者の階段を上り始めるキッカケは、亡父(山本富雄)の急死を受けて、参院自民党の幹事長に就任したことだった。
飛ぶ鳥を落とす勢いだった当時の「村上法王」に、ただ1人、公然と逆らい続けたのが、山本一太だった。 当選して数ヶ月後に行われた自民党総裁選挙では、初めて立候補した同じ派閥の小泉純一郎氏を応援した。 村上幹事長(当時)が、「参院を橋本龍太郎候補支持で強引に一本化しようとした」ことには、猛然と噛み付いた。 小泉元総理が出馬を表明した直後、参院で小泉支持を鮮明にしたのは自分だけだった。 今でも、よく憶えている。 村上幹事長に呼ばれて部屋(幹事長室)に入ると、数名の幹部に囲まれたドンが座っていた。 泣く子も黙る参院の実力者が、少し柔らかいトーンで言った。 「それで、参院で小泉をやっているのは、あなたの他に誰なんだ?」と。 語気を強めてこう答えた。 「今のところ、私だけです!」
幸か不幸か、村上氏とは、最初からボタンの掛け違いがあった。 その後は、「子猫がライオンに爪を立てる」ような状況が続いた。(ガクッ) 40歳になったばかりで、まだ「恐いもの知らず」だった。
村上正邦氏の子分だったことは一度もない! したがって、睨まれたり、怒鳴られたりしたことはあっても、お世話になったことは、ただの一回もない!! 村上幹事長が議員会長になり、権力の頂点を極めた後も、村上氏の専制君主的な手法を一貫して批判し、反発を繰り返していた。
が、しかし、(本音を言うと)この「あまりに強大な政敵」が、嫌いではなかった。 今だから白状するが、常にエネルギッシュで、直情径行で、実は繊細で、何かというと「参院の独自性」を叫んでいた村上氏が、意外と好きだった。 「ああ、この人は、いったん面倒を見たら、最後まで見捨てない。そういう男気があるんだろうなあ!」と感じていた。
全盛期の村上氏の暴走を牽制する唯一の存在だったのが、参院経世会のまとめ役だった青木幹雄氏だ。 青木氏は、村上幹事長時代には筆頭副幹事長として、村上議長時代には幹事長として、村上氏にブレーキを利かせていた。 青木氏の力の源泉は、最大派閥(経世会)の数だった。 これに対して、村上氏は、参院自民党内にゼロから自らの派閥横断グループ(革正会)を作り上げた。 そこは、ちょっぴり「カッコいい」と思っていた。
参院の「尊師」とまで揶揄された村上正邦氏が失脚し、青木幹雄氏が最高実力者の座を引き継いだ。 小泉総理(当時)と結ぶことで、青木氏は(参院のみならず)、政界全体に大きな影響力を持つことになる。 特に参院は、「ミキオハウス」と呼ばれるほど、青木氏の力が強くなった。 そして、自分は(後に森内閣で官房長官になる)この大実力者とも、真っ正面から戦うことになる。(ふうX10) 青木体制とは、文字通り「派閥談合と長老支配」のシステムだったからだ。
時々、こんなふうに思う。 村上氏や青木氏に「寄らば大樹のカゲ」でお世辞を使い、ポストの恩恵にあずかっていた「茶坊主政治家たち」より、この2人に真っ向から逆らって来た「素浪人・山本一太」のほうが、実はこの2人の政治家のスゴさ(恐ろしさ)を理解しているのではないか、と。(笑)
それはそうとしても、いわゆる「KSD問題」で逮捕され、政界を去ったかつての実力者が、現職の参院議員全員に手紙を送り、政局に影響を及ぼそうとする。 このこと自体、一般国民から見ると「異様な光景」に映るだろう。 こんなことが報道されただけで、国民は「なあんだ。やっぱり、自民党は長老支配の政党なんだ、な!」という印象を持つに違いない。 次の選挙でも、間違いなくマイナスに働く。
村上正邦氏の狙いはよく分からない。 が、こんなふうに参院自民党をかき回すのは、ぜひ、やめていただきたい!!
追伸:村上正邦氏から届いた2通目の手紙「衆・参両院議員に訴える」をもう一度、読んでみた。 その中に、こんな一節がある。
「わたしは、今回の浜田議員のやむにやまれぬ英断に、深い感銘を受けました。これこそ、理念なき政党の迷走に、決然として終止符を打ち、新しい参院議員としての第一歩を雄々しく踏み出した勇気ある行動だったと思います。志を立てた以上、いかなる中傷や攻撃、謗りを受けても、志を貫く覚悟が、真(まこと)の政治家です。」
自分には、今回の浜田議員の行動が、やむにやまれぬ英断とはとても思えない! なぜ、そう思うのか? 中傷ではなく、事実に基づいて、その理由を明らかにしたい。 「浜田和幸参院議員の許し難いウソ:その2」で口火を切る。
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