2010年8月19日:パート5

 本日の午後、中曽根弘文・参院自民党議員会長から、「政策審議会長」をやってくれないかと頼まれた。 真面目で誠実な中曽根議員会長が、熟慮を重ねた末に決めた人事だ。 多少なりとも「政治家・山本一太」を評価してくれた。 そのことは光栄だし、本当に嬉しかった。

 議員会長選挙で中曽根弘文氏を応援したことは、「100%正しかった」と確信している。 派閥連合が擁立した候補者を倒したことで、「派閥政治の終焉」を内外にアピール出来た。 このことも、大きかったと思う。 実際、地元のあちこちで、「自民党も変わって来たねえ!」と言われたもの。

 にもかかわらず、議員会長からのこの要請には、正直言って戸惑った。 あの選挙の勝利は、当然、自分1人の力ではない。 「オープンな議員会長選挙」を主張して一緒に戦った4、5人の顔が浮かんだ。 この人たちが最後までぶれなかったからこそ、中曽根候補を擁立出来たのだ。

 とりわけ、同じ参院3期で、最初から最後までチームを組んで議員会長選挙を戦った世耕弘成氏が「いわゆる参院3役」に入らず、自分だけがポストを得ることには、強い抵抗感があった。 というか、この役職は、自分より世耕氏のほうが絶対にむいている。 

 そこで、中曽根会長に(単刀直入に)こうお願いした。 「政審会長なら、私ではなくて世耕さんにしていただけませんか?どちらかが執行部に入れれば、同じことですから!」と。 つまらない手練手管は使わない。 本気でそう頼んだ。 中曽根会長は、困った顔で「いや、世耕さんの能力はよく分かっている。選挙でスゴく活躍してくれたことも!でも、参院では一太さんのほうが先輩だし、発信力を買って、お願いしているんですから!」と言った。

 中曽根弘文候補を担いだ瞬間から、「仮に勝ったとしたら、自分にも責任がある!ポストの有無にかかわらず、中曽根議員会長を全力で支えよう!」と決意していた。 その気持ちは、今でも全く変わらない。 加えて、「開かれた選挙で決めるべきだ」という主張の背景には、党内民意で選ばれた会長なら、派閥に囚われない「フリーハンドの人事」が出来るという思いもあった。 

 会長から意見を求められたので、言いたいことは言わせてもらった。 「1対1でなかった」ことは、残念だった。 会話の中身は、全て漏れるだろう。 え? 事実と違った話が耳に入って来たら、すぐにここで訂正させてもらう。 いずれにせよ、最後は民主的なプロセスで選ばれたリーダーが決断することだ。 執行部人事に関して、ただの一度も相談はされなかった。 が、それも新会長が決めること。 異論を挟むことは、控えねばならない。

 「政審会長」は、いろいろな意味で「難しい役職」だ。 が、引き受けたからには、自分に出来ることを一生懸命、考える。


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