2010年8月13日:パート4

 午後6時30分。 高崎から東京に向かう新幹線の中で、パソコンを起動させた。 本日は、午前6時過ぎの列車で地元入り。 終日、新盆回りをやった。 お世話になった方の遺影の前で、ご焼香し、手を合わせる。 立派な人は、なぜ、早く逝ってしまうのだろうか。 明日も明後日も、忙しい日程が続く。

 今回の「参院自民党議員会長選挙」を振り返ってみる。 自分は7月の参議院選挙のずっと前から、ブログ等を通じて「参院選挙が終わると、議員会長の任期切れが迫って来る。次の参院自民党のリーダーは、オープンな選挙で選ぶべきだ!」と主張していた。

 参院選挙が終わった数日後、5、6人の議員と話をした。 世耕弘成氏、義家弘介氏、丸山和也氏、山田俊男氏等だった。 「ねじれが生じたことで参院の存在感が高まる。次の参院自民党のトップを、これまでのような密室的派閥談合で決めてはならない!新しい議員会長は、開かれた選挙で決めたほうがいい!」 そんな認識で一致した。

 少しずつ同志を増やしながら、議員会長選挙に擁立する候補者を模索した。 山本・世耕は、毎日のように連絡を取り合った。 複数の名前が浮上した。 ほどなく、一部のマスコミが「自民党は00議員会長、00幹事長、00国対委員長を起用する方向」と報じた。 これがオープンな選挙を求めるメンバーの気持ちに火をつけた。 「選挙をやるかどうかも決まっていないうちに、こんなニュースが流れるなんて!まさに、古い自民党の密室談合的手法ではないか!」と。 

 同時に、「直滑降ブログ」でも、密室の会長選びを批判。 この動きの背景を解説した。 詳しくは書けないが、あちこちから反応があった。

 ブログ上で「議員会長選挙シリーズ」の連載(?)を始めた翌日、小坂憲次参院議員から電話がかかって来た。 「あなたのブログを読んだ。全く同感だ。参院自民党の議員会長を密室の派閥談合で決めるようなことをしたら、自民党はそれこそ国民から見放されてしまう。オレも喜んで協力するからね!」という話だった。 途中から「頼りになる大物助っ人」が登場したのだ。

 あ、間もなく東京のアナウンス。 この続きは次回のブログで。


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