2010年7月29日:パート7

 午後6時。 議員会館事務所にいる。 もう1本ブログを書いてから、永田町を後にする。 ふうむ。 疲れた時のチョコ、美味しいなあ。

 国会の運営がどうこうのと言っても、一般の国民には分かりにくいかもしれない。 民主党政権のやり方が横暴だったと批判しても、「自民党与党時代もそうだったじゃないか!」と言われるかもしれない。 が、参院にねじれが生じた後の(とりわけ政権交代が起きた後の)民主党の国会運営は、本当にひどかったのだ。 

 国会同意人事への反対、全会派の同意が原則だった証人喚問の単独強行、問答無用の強行採決等々。 いちいち挙げれば、キリがない! 共産党の議員でさえ、「自民党時代でも、ここまで無茶苦茶なことはやらなかった!」とつぶやいていたほどだ。

 与野党間でほぼ合意に達していた予算委員会を、民主党が突然、やらないと言い出したのには、耳を疑った。 新しい首相が誕生して、所信表明と代表質問しかやらないなんて、通常、考えられないことだからだ。 中でも驚愕したのは、参院選挙の直前の通常国会での会期末の展開。 当時の江田五月議長(民主党)は、参院において野党が提出した「首相に対する問責決議案」等を採決せずに、無理矢理国会を閉じてしまった。 これは前代未聞のことだった。 腹が立つのは、全てが「選挙を有利にしたい」という意図で行われたことだ。

 確かに、「議長は比較第一党から出す」というのが参議院の慣例になっている。 が、しかし、江田前議長の「ルールを無視した国会運営」を考えれば、改選第一党として「参院議長のポストを要求する」のは、ちっともおかしくない! そういう意味で、みんなの党の渡辺喜美代表の「野党統一候補を決めて、議長を取るべきだ」という主張は正しいと思う。 たとえ参院本会議の採決で負けるようなことになったとしても、戦う姿勢を見せて初めて、民主党の横暴な国会運営を抑止出来る。 衆参の多くの仲間が、そう考えていた。

 にもかかわらず、参院自民党には、最初から「戦う姿勢」が見られなかった。 それどころか、(新聞報道が事実だとすれば)参院自民党の一部の幹部が、私利私欲の人事構想を描き、ポストから外された他の幹部の不満を抑えるために「副議長に押し出す」というシナリオを描いた。 そのために『民主党が議長、自民党が副議長』というバーターをした可能性が高い。 そうじゃなかったら、あの時期に「自民党は00氏の副議長で調整している」などという報道が出るはずがない!

 この展開には、さすがに衆院側も、派閥の長老も切れたらしい。 そこで長老の強い意向を受けた参院自民党幹部が、途中から急に「参院議長は改選第1党である自民党から出すべきだ!」という主張を始めた。 様々な情報を総合すると、こんな流れだったようだ。

 本当に申し訳ないが、自分の目には、今の参院自民党執行部が「議長ポストを取るために、民主党と必死の交渉をした」ようには見えない。 更に言うと、一部に取り沙汰された「議長は公明でもいい。その代わり、やはり国会運営の要である議員運営委員長ポストを自民党が確保する」という戦略についても、真剣に公明党と話し合った形跡が見られない。 え? これが自分の勘違いだとしたら、ぜひ、「これだけ努力した」ということを説明して欲しい。 その時は、このブログ上で、お詫びしなければならない。

 参院議長ポストは絶望的だとしても、議院運営委員長は自民党が確保出来るのだろうか? あ、そろそろ行かないと。 この続きは次回のブログで。


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