2010年7月19日:パート3

 自民党の「派閥」は、かつての「派閥」ではない。 影響力も、求心力も、かなり低下している。 たとえば、依然として最大派閥の地位を保っている「清和政策研究会」(現町村派)を例にとってみよう。 政権転落後に行われた昨年の自民党総裁選挙において、清和政策研究会は「派閥の対応を一本化する」ことが出来なかった。 すなわち、各自の判断に任せるという方針になったのだ。 

 谷垣禎一候補(現総裁)を応援する議員、河野太郎候補を支援する議員、西村康稔候補の推薦人になる議員が、それぞれ違う陣営に分かれて戦った。 昔の清和会だったら、考えられない現象だ。 参院町村派(清風会)でも、同様だった。 ちょっと不思議だったのは、河野太郎候補を支持した同じグループの議員がいたにもかかわらず、山本一太と世耕弘成だけが「お前らはケシカラン!出ていけ!」みたいな話になったことだ。 

 この件については、派閥というものの実態を知ってもらうために(自分が派閥を辞めた理由も含めて)、改めて詳しく書く。 いずれにせよ、派閥幹部の強い意向があったにもかかわらず、2人(山本・世耕)を退会させることは出来なかった。 自分は、自主的に派閥を抜けたのだ。 「派閥の長が右を向けと言ったら、全員がそれに従う」みたいなひと昔前の構図は、もうすっかり崩れている。

 政治家は「独立自尊の存在」だ。 1人1人の議員に「有権者に選ばれて国会に来た」という誇りと自負がある。 最初は「何とかチルドレン」なんて呼ばれても、いったん政治家としての命を吹き込まれたら、スグに議員としての「自我」が芽生える。 党や派閥の役職があれば、回りの議員がホイホイ言うことを聞くなどと考えること自体が、間違っている。

 自分がかつて所属していた派閥(特に参院町村派)で言えば、個々の議員に最も影響力を持っているのは会長ではない。 実質的なオーナーである元会長だ。 その最高実力者でさえ、総裁選挙で派閥代表の候補者を擁立することも、気に喰わない「山本、世耕」を派閥から追い出すことも出来なかった。 派内の意見をまとめ切れなかったのだ。

 ましてや、今の清風会(参院町村派)に、個人の力量で多くの議員を束ねたり、思った方向に動かせるような政治家は皆無だ。 これは、どこの派閥でも同じだろう。 全ては長老からの支持や了解に基づいて、ふわーっと行われている。 もっと分かりやすく言うと、今の参議院自民党に「この人のご機嫌を損ねたら、組織が回らない!」とか、「このポストはこの人にしか出来ない!」みたいな人物は存在しない!(キッパリ) ただ1人、恐ろしいと思っていた「陰の最高実力者」は、引退したのだ。

 あ、そろそろ行かないと。


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