2010年3月5日:パート2

「参院枠」という最悪の慣習

 小泉純一郎総理が登場する前、自民党には「参院のことは、参院の中で決める」という慣習があった。 亡父(山本富雄参院幹事長)が、細川政権時代に「政治改革法案を参院で否決する」という反乱を主導し、後を引き継いだ村上正邦氏、青木幹雄氏という2人の大物幹事長が「参院の独自性」を確立した。 この流れの中で、「衆院は参院の人事に口を出さない!」という傾向が、更に強まることになった。

 小泉政権以前は、閣僚人事の「参院枠」(通常2から3)も、定着していた。 すなわち、歴代の総理は(参院からの大臣に関しては)、参院側から推薦のあった政治家を、そのまま起用していたのだ。 ところが、小泉総理は「参院の推薦リスト」を突き返した。 「この人はうちの内閣には要らない!もっと違う議員を選んでくれ!」と。 以来、組閣における「参院枠」は、必ずしも、そのまま通らなくなった。 「総理の一本釣り」が起こるようになった。 ただし、参院議員を閣僚に起用する際には「青木幹雄氏の了承を取らねばならない」という前提条件だけは、存続した。

 あ、食事が来た。 この続きは、エネルギー補給の後で。
 

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