2010年2月13日

 「一太さん、その2の続き、待ってます!いつ書くんですか?」「やっぱり、仲良しの田村さんのことは書き難いですか?」 HPのメールやツィッター上でも要望(?)の強かった「田村耕太郎参院議員の民主党入党に思う:その2」を書く。

 タムコーこと、田村耕太郎参院議員が「参院選挙の半年前」に離党したことについて、回りの議員やマスコミ関係者は、ほぼ全員が「鳥取選挙区から出ても勝てないと思ったからでしょう!」と言っている。

 実は、「YS(山本・世耕)コンビ」で河野太郎を総裁選挙に担いだ際、河野太郎総裁が誕生した時のことを想定して、自分なりに「各県の選挙情勢」を分析した。 「革命」が成功したら、参院選挙(というより、参院自民党)は、山本・世耕が仕切ることになっていたからだ。(笑) 各地の情報を集めてみて、愕然とした。 「1人区の現職候補」(その後、公認されなかった議員もいるが)の戦闘力が、あまりに低いことに!!

 田村耕太郎氏が、自民党鳥取県連とうまくいっていようがいまいが、次の選挙で苦戦したことは間違いない! それだけに、選挙になったら、「スペシャル遊説カー」(熱血改革号)を引っさげて、鳥取県に乗り込むつもりだった。 必要があれば(大して力になれなくても)、選挙区に何度も足を運び、街頭でマイクを握ろうと思っていた。 そりゃあ、そうだろう。 リスクを承知で「河野陣営」に加わってくれた田村氏は、「絶対に当選してもらわねばならない大事な同志」だったのだから!

 鳥取地方区が「激戦必至」だったとは言っても、それは、タムコーの選挙区に限ったことではない。 事実、選挙まで4ヶ月半に迫ったこの時点で、「確実に勝てる1人区の候補者」は(現職、新人を含めて)、ただの1人もいない!(キッパリ) 

 ちょっと考えれば、スグに分かる。 前回の参院選挙では、1ヶ月前まで「当選確実」と予想されていた大物現職たちが、次々に逆転され、議席を失った。 衆院選挙に比べて、業界団体や首長の組織への依存度が高い参院選挙を、初めて「野党として」戦うのだ。 最初から、苦戦するに決まっているではないか!

 自分が思うに、田村耕太郎参院議員は、「このままでは選挙に勝てない!」と考えて、自民党を離党したのではない! それが全くなかったとは思わないが、もっと大きな理由がある。 タムコーは、離党前に、よくこうつぶやいていた。 「一太さん、私が次の参議院選挙で当選したとしても、自民党は野党のまま。その後の展望は何もないですよね!空しいなあ。(ため息)」 こうも言っていた。 「あと3年、経済政策を間違えたら、日本は破綻する!あと3年が正念場ですよ!」

 勝手に解釈すると、タムコーは、こう思ったのだと思う。 「次の選挙に勝っても、自分の政策を実現する手段がない!自民党が参院で過半数を奪還する可能性もない!党再生の唯一の希望だった総裁選挙でも負けた。世代交代も出来ない。これ以上、自民党にいても意味がない!」と。

 田村耕太郎氏は、離党記者会見の前に(律儀にも)電話をくれた。 「何が出来るか分かりませんが、とにかく新しい可能性に賭けてみます!しばらくは、フリー(無所属)でやるつもりです!」と話していた。 「うん!残念だけど、田村さんの信念に従っての行動だと思うから、引き止めたりはしません!世耕さんも、柴山さんも、ガックリ来ていた。でも、タムコー、JICA若手の懇親会には、引き続き、来るよね?連絡は取り合っていきましょう!」と言葉を返した。

 この時点で、「みんなの党」に行くことはあっても、まさか「鳩山民主党」(正確には「小沢民主党」)に入党するとは、夢にも思わなかった。 田村耕太郎氏が離党した後、複数の政治記者から携帯に電話がかかって来た。 「一太さん、タムコーは民主党の比例名簿に名前を連ねるって話が出てますよ!」 少し不機嫌に答えた。 「え?そんなこと、あり得ない!田村さんは、経済政策に関しては健全な保守なんですよ!あれだけ民主党の政策を批判して来たんだから!いい加減なこと、言わないでよ!」

 自民党きっての国際派の1人である、個性的でダイナミックな次世代ホープの1人が、秘書が3人逮捕・起訴されても幹事長を辞めない、古い自民党政治の権化のような「政界随一の実力者」に、絡めとられた。 本当に悔しい! 申し訳ないが、田村耕太郎氏の行動も、(本人を知っているだけに)理解に苦しむ。 あ、そろそろ東京駅に向かわないと。 この続きは「田村耕太郎参院議員の民主党入党に思う:その3」で。


直滑降レポートを応援していただける方は、blogランキングへ

山本一太オリジナル曲「素顔のエンジェル」無料配信中!