2009年12月26日:パート3

 間もなく午後(夜の)8時(日本時間の午後4時30分)になるところ。 デリーに向かう飛行機の機中でパソコンを開いた。 あと30分もすると降下を始めるはずだ。

 胃腸の調子がやっと戻って来た。 インドの食事に慣れて来た証拠だ。 今晩はニューデリーで政治関係の友人に会う。 鳩山政権をどう見ているのか、率直な意見を聴きたいと思っている。

 今から10年前、外務政務次官として訪印した。 目的は2つ。 ひとつはインド政府による核実験強行を受けて実施されていた日本の対インド経済措置(ODAの凍結等)に関する話し合い。 もうひとつはインド政府にCTBT(包括的核実験条約)への参加を促すためだった。

 河野洋平外務大臣の名代として、当時のシン外務大臣、フェルナンデス国防大臣を初めとする政府の要人たちと次々に会談した。 どちらが先だったかは憶えていないが、「核軍縮の問題」に関しては時を置かず中国にも出張。 唐家璇外交部長(外相)とも議論した。 

 あの時、インドと中国がこれほど短期間に急激な経済発展を遂げるとは(正直言って)夢にも思わなかった。 「中国のGDPが日本に追いつく」のは遥か先のことだと考えていた。 1999年、中国でもインドでも「日本の存在感」は大きかった。 何しろ、日本は世界一の援助供与国だったのだ。

 あれから10年。 中国とインドは恐るべきスピードで経済成長を続けている。 「世界金融危機」からもいち早く抜け出したかに見える。 その間、日本の経済規模はほとんど大きくなっていない。 こうした新興国の台頭と日本経済の停滞。 当然の帰結として、世界経済に占める日本経済の相対的影響は大きく低下した。

 そのことは事実として受け入れる以外にない。 問題は「国際社会における相対的な存在感」が減少する中で、どうやって日本の外交力を維持出来るかどうか、だ。 巨大な矛盾と問題を抱えながらも、インドの進化は止まらないだろう。 その意味で言うと、ここ5~10年の対インド外交(=日印関係)はスゴく重要だと思う。

 あ、飛行機が降下を開始した。 この続きは次回のブログで。

 
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