2009年11月1日

 今から2年半前。 「松岡利勝農水大臣」が「非業の死」を遂げた。 たしか、松岡大臣が亡くなった翌々日の夕方だったと思う。 参議院本館の廊下で携帯電話が鳴った。 安倍総理(当時)の首相秘書官からだった。 こんな会話を交わしたのを憶えている。

秘書官:「一太先生、つかぬことをうかがいますが、政治とおカネの問題は大丈夫ですか?」
山本 :「ええ、何も問題はありません!なんで、そんなこと聞くの?」
秘書官:「いや、一太先生は安倍応援団の代表格ですから、ね。何かあってもいけないと思って。特別な意味はありません!」

 松岡大臣の後任人事を決めねばならないこの微妙なタイミングで、首相秘書官から「身の回りに問題はないか?」と聞かれる。 考えられる答えはひとつしかない。 「安倍総理が後任の閣僚に山本一太の抜擢を検討している」ということだ。

 「うーむ。よりによって問題続きの農水大臣ポストか。(ため息)でも、仮に安倍総理から声がかかったら何でもやるしかない!」 様々な感情が頭を駆け巡って、その晩は眠れなかった。 結局、安倍首相からの電話はなかった。 正直言って、ホッとした。(笑) 間もなく、テレビ画面に「赤城徳彦農水大臣」のテロップが流れた。

 後に(あるキッカケで)「次のような経緯」があったと判明した。 複数の「信頼出来るソース」からの情報だ。 100%、事実だと思う。
 
『安倍総理は(いったん)「山本一太を閣僚に起用する」と決めた。さあ、本人に連絡しようという段になって「一応、参院自民党の了解を取っておこう」と思った。青木幹雄氏(当時の参院議員会長)に電話をしたところ、『山本一太はダメだ!参院の秩序が壊れる!』と強硬に反対された。青木氏の意向を汲んで、安倍首相は『山本一太の抜擢』を断念した。」

 安倍総理(当時)が閣僚ポストを動かして、山本一太を(農水大臣ではなく)「環境大臣」にしようとしたという説もある。 噂によると、青木氏はもう一度安倍総理に電話をして来て、こう言ったらしい。 「さっきの話は山本一太君のためを思ってのことだ」と。 真偽のほどは分からないが、本当だとしたら「なんともご親切な配慮」(笑)だと思う。 安倍元首相は「あの時、青木さんに連絡しないで決めちゃえばよかったな!」と言ったとか言わないとか。(これは一太シンパの作り話かもしれない。(笑X2))

 以前のブログにも書いた。 自分がやりたかったのは、安倍内閣の閣僚ではない! 総理官邸に入って「安倍首相を近くで支える」ことだった。 「次の参院選挙を乗り切れば、安倍内閣は長期政権になる。そうすれば首相補佐官(?)として、世耕氏や下村氏と一緒に総理をサポート出来るかもしれない。いや、そのチャンスは必ずやって来る。そのためにも次の参院選挙で生き残らないと!」 そう思っていた。 しかも、「あの時期に農水大臣をやる」ことには大きな政治的リスクがあった。(それでも安倍総理から頼まれていれば引き受けていた。当然のことだ。)

 「大臣になるのを阻まれた」からと言って、青木幹雄氏には(個人的に)何の恨みも抱いていない。 その後の展開を考えれば、むしろ感謝すべきなのかもしれない。(笑) 加えて、あの当時の安倍総理に「参院の最高実力者を敵に回す」だけの余力は残っていなかった気もする。

 これもこのブログに何度か書いた。 前回の参院選挙で惨敗するまで、参院自民党は「青木議員会長&片山幹事長コンビ」にガッチリと掌握されていた。 その理由は、この2人が参院自民党の最大グループを仕切っていたからだけではない。 青木・片山コンビの「政治家としての力量」が図抜けていたのだ。

 が、しかし、自分がちょっぴり悔しかったのは、安倍首相(当時)が参院自民党に君臨する「青木幹雄氏」との対決で「最後まで譲歩を繰り返した」ことだ。 今回、明らかにした「大臣人事をめぐるやり取り」は象徴的だと思う。 2年前の暑い夏。 あの「逆風の参議院選挙」で安倍総理が参院自民党の権力者と真っ向から対峙し、「勝ち目のない候補者の差し替え」を断行していれば、参院で過半数を失うことはなかった。 そのことが悔やまれてならない! 

 なになに? 山本一太を農水大臣にしておけば、赤城農相の「絆創膏事件」は起こらなかったんじゃないかって?! そうすれば、あと5議席は増えたはずだって?! それはないと思う、な。(笑X3)

 
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