2009年10月24日:パート3

 午後(夜の)10時。 東京の部屋でパソコン画面に向かっている。 小さな仏壇の横に花を置いた。 その上の棚には、亡くなった両親の写真が並んでいる。 この写真、母親が60歳くらいの頃かなあ。 改めてじっと眺めてみる。 なんて柔らかい笑顔だろう。(感動)

 母が亡くなったのは、7年前の今日。 73歳だった。 数日後に書いた2つのブログ「母、逝く」(10月27日)と「紅葉の街」(10月28日)を読み返してみた。 いろいろなシーンが蘇って来て、胸にグッと来るものがあった。 あの時に綴った2つの文章(当時は国政レポート)をそのまま掲載する。 ちょっと...悲しくなる、な。(ため息)


2002年10月27日

母、逝く

 24日、午後8時45分。母が静かに逝った。73歳だった。政治家の妻として父の政治活動を献身的に支えた。楽天的で、ゆったりとしている反面、芯の強い人だった。どこか、そそっかしいところもあった。愛すべき上州の「おかあさん」だった。あと10年くらいは、ゆっくりと余生を送らせてあげたかった。
 
 質素で飾らない性格だった。自分が治らない病気になったら、不自然に寿命を延ばすのはやめてほしいと言っていた。万一のことがあっても、葬儀はけして大袈裟にしないように、とも話していた。ずっと先のことだと思っていた。

 生まれ故郷の草津町の親戚や町の方々に助けられながら、なんとか通夜と葬儀をすませることが出来た。草津町の自宅で行われた通夜には、町内外から大勢の方々がかけつけてくれた。母の意を汲んで出来るだけ小さくすませようとしていた27日の葬儀には、結局、千人以上の方々にご参列いただくこととなった。
 
 このホームページを実質的にオープンし、国政レポートを書き始めたのは、昨年の参議院選挙の少し前だった。選挙中は、膝が悪い母がいても立ってもいられず、息子のために奔走してくれた。すまないことをしたと思う。猛暑の中の苦しい選挙選だった。当時のエッセイを読み返してみる。長い一日が終わって高崎の自宅に戻ると、母と妻が待っていてた。お茶を飲みながら、今日一日の戦果を報告しあった。ネアカの母と妻の笑顔に、どんなに勇気づけられたことだろう。HPの文章を目で追いながら、一瞬、母のあの柔らかい笑顔が心に浮かんだ。
 
 あまり親孝行な息子ではなかった。が、一つだけ良かったと思うことがある。それは母がよく、「学生時代から、いつも楽しそうで生き生きしてるわね。それが一番の親孝行ですよ」と言っていたことだ。ラテン系部分の性格は母から受け継いだ。これからも、自然体で、ハッピーでいることが一番の恩返しだと思っている。
 
 草津の10月は紅葉の美しい季節だ。「草津って、いいところですねえ。」東京から葬儀にかけつけてくれた友人がつぶやいていた。草津の自然は母のイメージに重なる。大好きだった草津の景色の中で、ゆっくり休んでほしい。長い間、本当にありがとうございました。合掌。

2002年10月28日

紅葉の街

 久々に草津温泉に一泊した。疲れているはずなのに、あまり眠れなかった。朝やや遅めに起きて、草津町の挨拶回りに出かける。葬儀委員長を務めてくれた町長が、「心のこもった(喪主の)挨拶でしたね」と声をかけてくれた。

 高原の冷たい風が心地いい。ちょっと寒いけど。それにしても、草津はいいところだ。この季節に、故郷の少し終わりかけた紅葉を見ながら歩いたのは、何年ぶりだろう。名所の「湯畑」(温泉の湧き出るエリア)付近は、観光客で賑わっていた。

 夜の新幹線に乗った。もう、高崎の自宅に戻っても、あの笑顔には会えない。父と母は、遠くから、仲良く見守ってくれるだろう。「絶対の味方」は、いなくなった。自分の足で、しっかりと歩いていかなければならない。


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