2009年10月18日:パート4

 「山本一太の参議院選挙:その3」の続きを書く。 山本一太より若い女性候補(もう1人の自民党候補)と競った2度前の参院選挙の中盤戦。 ある業界団体の会で遭遇した中曽根系県議団(当時)のベテラン県議が言った。 

 「山本さん!いろいろな調査を見ると、あなたが断然リードしている。同じ自民党の候補者である00さんに少し票を譲るくらいの気持ちでやってくれないかなあ!」 その言葉が終わるか終わらないうちに反応した。 「いや、00先生。申し訳ありませんが、そう思った瞬間に私が落選します!お互いに死に物狂いでやって初めて2議席獲得が視野に入って来るのではないでしょうか?」

 選挙は「命がけの闘争」だ。 申し訳ないが、選挙戦では(他の候補者の個人攻撃は一切やらなかったものの)「今回の選挙で自民党には実質的に1議席しかありません!安定した支持票のある社民党の現職候補はすでに当確。私か、もう1人の自民党候補か、どちらを選ぶか?そういう戦いです!」と訴えた。 

 白状するが「トップ当選出来なかったら議員バッジは受け取らない」という「決死の覚悟」だった。 とても僭越ながらこう思う。 あの選挙で戦った「もう1人の自民党候補」(自分より年下の女性県議)は「手強いライバル」だった。 相手が「半分狂った山本一太」でなかったら、国会にデビューする力は十分あっただろうに、と。

 そして2年前の逆風の参議院選挙。 選挙の結果だけ見れば「楽勝」に見えるかもしれないが、とんでもない!(知ったふうなことを言うな!(怒)) 最初から最後まで「一太流を貫いた」という点では、2回目の選挙より(精神的には)キツかった。

 え? 「民主党の候補者」が立たなかった(=民主党は国民新党の候補者に選挙協力した)のが幸運だったって?! 正確に言うと、立たなかったのではない! 群馬選挙区から民主党の看板で立候補しようという人間が見つからなかった(=立てられなかった)のだ。 

 あの選挙で民主党が最後まで公認候補者を決められなかったのは「群馬県と和歌山県」だった。 「候補者プール(?)」の中から希望者を募ったところ、最後の段階で和歌山に「落下傘候補」が降り立った。 が、群馬県に手を挙げる候補者は現れなかった。(関係者から聞いた話だから間違いない!) 理由はシンプル。 何度世論調査をかけても山本一太が「圧倒的に強かった」からだ。 「数字もあるけど、一太さんみたいなタイプとは誰だってやりたくないんですよ!」と「親しい民主党議員」が分析していた。(これって褒め言葉かなあ?(苦笑))

 選挙の後で、民主党の某次世代エースがこう言っていたもの! 「選挙協力なんて言っても、群馬県は応援要請すらありませんでした。全く声がかからなかったのは群馬だけじゃないかな。最初から可能性がないって思われてましたからね。」

 あの時も「今回の衆議院選挙」に負けないくらいの逆風が吹いていた。 事実、有力な現職候補が1人区で次々に討ち死にした。 民主党候補が出ようが出まいが、有権者に支持されていなかったら(あの反自民の風の中で)「群馬県地方区史上最多得票」なんてマーク出来るはずがない!(キッパリ) そう自負している。

 振り返ってみると、「あの選挙」は誰が相手でも「必ず勝った」と思う。(あらゆる意味で「選挙力のピーク」だった。) 世論調査のリードが20ポイント以上あったにもかかわらず、最後の瞬間まで1%も気を抜かなかった。 あんまり走ったので、夜、何度か心臓が停止しそうになった。(これ、ホントです!)

 ただし、前回と次回の選挙は全く違う。 2年前の「成功体験」は何の役にも立たない。 ハッキリ言って、「3年9ヶ月後の選挙」で山本一太が当選する確率は(現時点で)半分もない!(断定) 6年ごとの参院選挙とはそういうものだ。(ふう) 間もなくHP(フロントページ?)に出現する「新しい政治活動終了時計」は名前どおりの役割を果たすかもしれない。(ふーっと深呼吸)

 さて...と。 ちょっと夜の街を散歩して来よう。

 
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