2009年6月7日

 先日、某テレビ番組から出演依頼があった。 え? 議論のテーマ「世襲」ですか? 「日程調整さえつけば喜んで!」と(いったん)返事をしたが...その日は仲間の応援で東京にいないことが分かった。(残念!) 担当ディレクターに、「私の世襲候補立候補制限についての意見はブログの『世襲候補の立候補制限はなぜ必要か?:その1-その5』に書いてあります。それを読んでみてください!」と言っておいた。 「そんなこと(出演のこと)より、どこかでご飯、食べましょうよ。自民党の3人の若手にも会ってもらいたいし!」とも。
 
 同じ日にある記者から「参院自民党の現状について話を聞きたい」という連絡があった。 「いいですよ。ブログ『皮肉なDNA』のあたりを読んでみてください。少しは参考になるかも。え?あの部分に書いてある衆参の関係に興味があるんだって?(笑)分かりました。」 
 
 「関心のある話題」(世襲問題、北朝鮮外交、電子投票法案等)は、書きたい分量が多いために「シリーズもの」(その1..)みたいな形になる。 「ある問題」に対する主張をまとめておくと、後で頭の整理にもなる。 マスコミ取材を受ける時も便利だ。 もっとも、最近はブログの内容から「取材やテレビ出演」に繋がるケースが増えて来た。 これはちょっぴり「新しい現象」だ、な。(ふむ?)
 
 さて、「テレビ戦略の難しさ」について書く前に、先々週の中央大学大学院の講義(「政治とメディア」)について感想を述べたい。 出席者は15名。 外部講師は「今、最も過激と言われている某ジャーナリスト」だった。 「親しい友人」ではあるが、ただの一度も自分の「提灯記事」を書いてくれたことはない。 それどころか、あちこちで「山本一太批判」(?)をやっているようだ。(笑X2) が、その「権力や権威に迎合しない」姿勢がスゴくいいと思う。 山本一太と同様、「極めてコントロールが難しい人種」というヤツだ。
 
 巷に増殖しつつある「似非(エセ)有識者」とかによく見られる「テレビ受けすることを連発して名前を売ろう!」とか、「実力者に接近していい思いをしよう!」みたいな感覚が全く感じられない。(まあ、本人は既に有名だけど。) ジャーナリストとしての(一種の)「捨て身の覚悟」がある。 自分が付き合っているメディア人の中では「異色の存在」だ。 「敵が多い」ところは、ちょっと似ているかも。(笑)
 
 授業では「日本のマスコミの問題点」(特に「記者クラブ制度の弊害」)を一刀両断。 「メディアと政治(政府)の距離が不健全だ。実力本位でなければ、メディアの質は絶対に向上しない!」と力説していた。 同時に、「実は日本の報道記者の能力は世界と比べても高い。壁を取り払ったら、国際的に活躍する人材が出て来る!」という意味のコメントもあった。
 
 普段は、「ゲスト講師」のプレゼンテーションに20-30分、山本一太との対決に30-40分、院生たちを巻き込んだ議論に30分程度という時間配分を目安に講義を進めている。 が、ゲストの話が面白くて、それだけで1時間近く使ってしまった。(苦笑) 院生たちとの質疑応答も活発だった。
 
 最後にひとつ、「取材される側の政治家」から「取材する側のマスコミ人」に次のような注文をつけた。 「マスコミと政治の間に健全な距離感が必要なのは言うまでもない。メディアが政治(政府)に擦り寄ったら、権力のチェックが効かなくなる。ただし、政治家として批判されるのは一向に構わないが、反論出来る仕組みがなければフェアなせめぎ合いは出来ない!」
 
 一呼吸置いて、こう続けた。 「いかなる『報道』にも責任が伴う。その点からすると『署名のない記事』は本当におかしいと思う。名前を名乗らずに他人を攻撃するのは卑怯だし、その手の批判は一切無視することにしている。が、この『責任を曖昧にする文化』が、偽ジャーナリストや政治ゴロを蔓延らせる要因になっているのではないか?」と。
 
 間髪入れずに次のような(趣旨の)答えが返って来た。 「そこは一太さんの言うとおりだと思う。たとえば米国のジャーナリズムで『署名のない記事』などというものは考えられない。マスコミ人として自分の発信したことに責任を持つのは当然だ。責任の所在(発信者の名前)をハッキリさせているからこそ(いつでも反論を受け付ける覚悟を示しているからこそ)、情報として信頼されるのだ」と。
 
追伸:この「危険なジャーナリスト」が、毎日のように「直滑降」をフォローしている。 「政界のムードや永田町の相場感を知るための貴重な情報源」だそうだ。 「悪い気」はしないが、ちょっと「恐い感じ」もする、な。(笑X3)
 
 
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