2009年5月5日:パート4

 前回のブログに、「『亡父・山本富雄』の時代の参議院議員は、衆議院にコンプレックスを抱いている人々が多かった」と書いた。 実際、「参議院議員山本富雄」のエネルギーの源は「衆議院への対抗心」だったかもしれない。 オヤジが再入院する少し前だったと思うが、議員宿舎でこんな「電話での会話」を聞いた記憶がある。 「うん!これからはねえ、衆議院との戦争だよ!」 相手は(誰だか分からないが)参院自民党の幹部だった気がする。
 
 「参議院議員山本一太」は(幸いなことに)最初から衆議院議員にコンプレックスを持っていない。 以前、ある会合で「参議院は野球で言うとマイナーリーグみたいなものだ」と発言して物議を醸したことがあった。 が、これは「衆議院に劣等感を持っていない」からこそ、出て来たセリフだと思っている。 すなわち、「変な気負い」がないので「事実を客観的に見れる」ということだ。 だいいち、機能的には「衆議院がメジャーリーク、参議院がマイナーリーグ」だからと言って、参議院議員に活躍の舞台がないなどとは露程も思っていない!!(ニヤリ)
 
 考えてみたら、自分が加わっている(あるいは中心になって立ち上げた)勉強会や議員連盟の主要メンバーはほとんど衆議院議員だ。 「山本一太」は参院自民党の「政局に加わってはならない」(=独自の行動をしてはいけない)みたいな「無言のルール」には全く縛られていない。 加えて、昨年の自民党総裁選挙では、参議院議員が「総裁レースに手を挙げられる」(20人の推薦人には届かなかったが)ことも証明した。 「改革派の同志たち」から「参議院議員として扱われている」という感覚もない。 
 
 それだけに(亡父と違って)これまで「参議院の独自性」みたいなことを訴えたことはない! 「衆参の力関係」なんてどうでもいいと思っている。 政界に入って数年間は「山本富雄の息子」みたいに紹介されることが多かった。 が、最近は「亡父とは全く異なるタイプの政治家」(=政治家山本一太)として認知されている。 そりゃあ、そうだ。 親子とはいえ、生まれ育った環境も、経歴も、性格もこんなに違う2人なのだから!!
 
 ところが、最近、こんなことがあった。 自民党の「選挙対策委員会」で「70歳定年制の例外」が正式に了承された直後、親しいマスコミ関係者と話をした。 「怒りの言葉」を抑えることが出来なかった。 「これは絶対に間違っている!今回の件について、参院自民党の幹部はほぼ全員が反対だった。誰が何と言ったかは明かさないが、自分は『彼ら』に反対の声を出しますよと仁義を切った。多くの同僚議員もやめて欲しいと話していた。今日、記者会見をやった4人は、参院自民党の多くの議員のホンネを代弁した。やむにやまれぬ行動だった。この決定は次の衆議院選挙ではなく、来年の参院選挙に悪影響を及ぼすからだ!」
 
 続けてこうも言った。 「腹が立つのは、参議院への影響より、衆議院の事情(次の総選挙には特にマイナスにならないという判断)が優先されたことだ。参院自民党に独自性もガッツもないことが証明された。仮に自分が参院自民党の幹部だったら、こんなことは絶対に許さない!たった1人でも最後まで激烈に反対したはずだ!!(怒)」 それを聞いていたマスコミ人が笑いながら言った。 「あれえ、一太さん!それって、オヤジさん(山本富雄)のセリフみたいですねえ!」 この言葉にハッとした。(苦笑X3)
 
 そう言えば、先日も参院自民党の議員総会で、「皆さん、このまま『電子投票法案』の国会提出を許すようなことがあったら、参院自民党は存在を否定されたのと同じです!」などと発言してしまった。(苦笑X4) 何か、不思議な因縁を感じる。 これって、「一種のDNA」なんだろうか?!
 
追伸:
1.亡父は(自分と違って)とても「緻密な性格」だった。 加えて「頭の回転」も異常に早かった。 たとえば、急に電話をかけて来て、こんな指示をする。 「あ、一太か。オレだよ。議員宿舎にいるんだって?お母さんから聞いたよ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど、居間に小さな机があるだろう。その机の引き出しの一番上の右のほうに黒い手帳がある。その手帳の左に政界要覧がある。その下に小さなメモが2枚あるはずだ。うん、あったろう。その2枚目の紙に4、5人の電話番号が書いてある。確か3番目に00さんの番号をメモしたはずだ。それを教えてくれないか?」 ラテン系で大ざっぱな性格の自分には「けっして出来ない芸当」だ。(笑)

 亡父が生涯で戦った選挙は全部で9回。 当然、一度も負けなかった。 政治キャリアは40年。 県議時代には「3期という異例の早さで県連幹事長のポストをもぎ取った」ほどの豪腕だった。 「対人関係のプロ」を自負し、「政治とは人間観察だ」とまで言い切っていたあのオヤジが、思いもかけない「失敗」を犯した。 お茶を飲みながら、その事件の顛末を話してくれた。 ため息をつきながら、「オレは本当に傷ついたよ!」とつぶやいていた。
 
 あーあ、今になってあの時のオヤジさんの「心境」が痛いほど分かる。 なんと、息子も同じ失敗を...!!! 性格も能力も生き方も全然違うのに?!! これも「DNAのなせる技」なのだろうか?!!(ため息X10)
 
2.晩年、何度か大病を患ったオヤジがよくこう言っていた。 「一太、オレは全力で生きてるからな。明日、命が終わっても何の後悔もないよ!」と。 確かに「あの頃の亡父」には「無駄な時間」は1%もなかった気がする。 どうしてだろう? 人生に対する覚悟も、日々を生きる真剣さも全く及ばないのに、亡父の言葉の意味がスゴく分かるようになった。 少なくともこうは言える。 「能力がないなりに全力でやって来た。明日、政治家を辞めることになっても1%の後悔もない!」って!!

 次回のブログから、いよいよ「世襲の問題」に突入する。 その前に「亡くなった父」のことを書いておきたかった。
 

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