2008年9月16日:パート6

 間もなく午前(夜中の)1時。 腹筋と腕立て伏せは終わった。 寝る前に本日最後のブログを書く。 4杯目の熱い紅茶は...蜂蜜を入れないストレートで飲もうっと。
 
 夕方。 議員会館事務所にフラリとやって来た「優秀な新聞記者」が言った。 「一太さん。若手改革派グループの一本化なんて、むしろ出来なくてよかったですね。そんなことをすれば、まるで派閥同士の談合みたいに映るもの!」 やっぱり、そういう見方もあるんだ、な。(ニッコリ!)
 
 「選挙」とは、候補者の「全人格」を問われる戦いだ。 以前、官僚出身のある若手政治家がこう話していた。 「山本さん。私は選挙に立候補してみて初めて分かりました。役人時代、政治家を騙すのは簡単でした。が、有権者の目はごまかせない!国民は本質を見抜く目を持ってるからです!」
 
 何十年も畑仕事をやりながら家族を支えてきた農家のおばあちゃん、店頭に立って商売を切り盛りしてきた商店街のお母さん、必死の努力で会社を守ってきた中小企業の社長さん、毎日眠い目をこすって出勤している会社員の方々...職業や立場は違っても、プライドを持ってそれぞれの人生を生きている「独立自尊の人々」に、「薄っぺらなパフォーマンス」や「カッコだけの約束」は通用しない。 国民には「候補者の人間性」を感じ取るアンテナが備わっている。 「メディア」に露出するだけで、「耳あたりのいいこと」を唱えるだけで、「票が増える」と思ったら、大きな勘違いだ。
 
 「政治」を作っている様々なプレーヤーたち、とりわけ「自分の回りにいる人々」は、(政治家本人も含めて)「人間関係のプロ」ばかりだ。 「政治家山本一太」が親しくしている(=敬愛している)人間に、安全なところから他人を攻撃したり、名前を名乗らずに悪口を垂れ流すような「卑怯者」はひとりもいない!(こういう「輩」は最初から相手にしない!) 反面、多くの人間を見ている「彼ら」には、「見え透いた計算」や「ミエミエの打算」や「浅はかな下心」は、たちどころに見破られてしまう。 
 
 そこに「損得抜きの気持ち」とか、「真実のカケラ」(=純のカケラ)がなかったら、「こうした人々」の信頼や好意、ましてや友情(愛情?)を勝ち取ることなんて出来るはずがない! それはきっと、夫婦関係(家族関係)でも、恋人関係でも、友人関係でも同じことだ。(*だからやめろって!みっともないことは!!)
 
 さて、布団に入ろう。 この続きは次回(次次回?)のブログ「6人で戦った意味:その1」で。


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