昨日(15日)の夕方を以て「お盆の地元活動」は終了した。 今日は「少しだけ」リラックスする。 身体の不調(?)を(ガッツで)治して頑張った。 神様も許してくれるだろう。
 
 今年の「新盆回り」は、早めにスタートを切った。 地元の秘書がリストアップした支持者の自宅を一軒一軒訪ねて、「新盆の供養」(焼香)をさせていただいた。 参院地方区は全県一区の選挙区。 全部はとても回り切れないが、「主なところ」は何とかカバー出来たと思う。 残念ながら、「参院議員山本一太」に代理はいない!(ふう。)
 
 さて、世の中には現職を引退した後も「ベテランの叡智」として尊敬を集める人々がいる。 政治の世界も例外ではない。 たとえば、中曽根康弘元総理。 「日本のご意見番」であると同時に、政治というジャンルで世界に通用する「数少ないビッグネーム」だ。 同じ群馬県出身の故福田赳夫元総理も「貴重な叡智」だった。 国会議員を卒業した後も、自らが創設者の1人となった「OBサミット」等の会議で世界を飛び回った。 「昭和の黄門様」として内外にメッセージを発信し続けたのだ。 
 
 「ベテランの叡智」は中央政界だけに存在するわけではない。 地方政界にも、後進のために潔く身を引き、議員でなくなった後も信望を集め続ける人々がいる。 「名町長」の知恵や経験は、次の町長の時代にも引継がれ、町の発展に役立っていく。 そんなケースは珍しくない。
 
 こうした「ベテランの叡智」と呼ばれる人々に共通しているのは、現役時代に「功成り名を遂げている」ために、引退後まで「変な執着心」を持ち込んでいないことだ。 中曽根元総理の発言には依然として影響力があるが、それは日本と世界に関わる大きなメッセージであって、現政権を具体的にどうしようとか、個々の政策を変えさせようとか、そうした「ちっぽけな意図」は感じられない。 逆に言うと、だからこそ、「重み」をもって受け止められるのだと思う。
 
 が、しかし、物事には常に「光と陰」がある。 年齢や経験を重ねて「ベテランの叡智」に到達する政治家がいるのと同様、逆に「老害」に変わっていく政治家もいる。 政治の世界でいう「老害」とは、議員バッジを外した後も野心や私心を引きずり、「今そこにある政治」に口を出すタイプの人々のことだ。 あの手この手で「現職の政治家」を動かし、人事に口を挟み、予算にちょっかいを入れ、すでに通用しなくなった「時代遅れの選挙戦略」を他人に押し付けようとする。 「悪知恵」を働かせて、物事を思いどおりに動かそうとする。 こうなると、まさしく「老害」以外のなにものでもない。 仮にこんな状況を目の当りにしたら、「心ある人」は皆、(たとえ口には出さなくても)「世の中のためにならない」と思うはずだ。(苦笑)
 
 「ベテランの叡智になる」人々に共通点があるように、「老害に変わる」人々にも同じ傾向がある。 それは、現役時代を「不完全燃焼で終わっている」ということだ。 たとえば、影響力はあっても、人望がなかったとか、目標とする役職に最後まで就けなかったとか。 何か「屈折したもの」を抱えている政治家は、権力欲が人一倍強い。 そんな気がしてならない。
 
 それでも、自分には「引退した後まで権力を振るおうとする」人々の気持ちが理解出来ない。 彼らを衝き動かすものは、権力への執着?利権?若い世代への嫉妬?それとも、屈折した「自分自身への怒り」だろうか? 
 
 早いもので政治の世界に入ってから13年が経過した。 この間、政治家山本一太は(あらゆる意味で)「ベテランの叡智」に助けられ、同時に「老害の圧力」と戦って来た。 え? 「老害」の魔の手はもはや自分には及ばない。 「老害」を中和するくらい「生存本能」が強い上に、最初から「捨て身の姿勢」なのだ。 「明日、辞めても後悔しない」気持ちでやっているのだから、妨害しようがないでしょう?!(笑) 
 
 自分の政治活動に「実害」はない。 「実害」はないが、こうした「老害たち」に遭遇する度に思う。 人間として、政治家として、こんな「カッコ悪い生き方」だけはしたくない、と!! 

追伸:あー、スッキリした! 最後の2行、ずっと言いたかったセリフなんです!!(ニッコリX2)
 

この直滑降レポートを応援していただける方は、blogランキングへ

target="_blank">「チャレンジャーに捧げる詩」の無料ダウンロードはmF247へ