2008年4月2日:パート2

 午前10時20分。 議員会館事務所でパソコンを起動させた。 参院自民党の「国対」(国会対策委員会室)に行く前に、ここで一本、ブログを書く。
 
 自分は「中川秀直氏」のことを(かなり前から)尊敬している。 以前、このブログに「筋金入りの改革派」だと書いた。 その理由は改めて述べるとも。 なぜ、そう思うのかを記しておこう。
 
 派閥の先輩でもある中川秀直衆院議員と初めて会ったのは13年前。 参議院議員に当選した2ヶ月後に「自民党総裁選挙」に巻き込まれた。 小泉純一郎元総理の記念すべき「最初の総裁選挙」だった。 当時、同じ派閥(三塚派)に所属していた荒井広幸氏に引っ張られて、2人で小泉陣営の企画・宣伝を担当する羽目になった。 その時、小泉選対の中核になったのが、中川秀直氏と野田実氏(元衆院議員)だった。 
 
 中川氏は、その当時から「自民党の古い体質を変えないといけない!」「日本をもっと開かれたシステムにしなければならない!」としきりに話していた。 以来、中川秀直氏の「改革に対する姿勢」は一貫している。 「偉い人々」におべっかを使わない自分が言うのだから間違いない。
 
 特に、小泉政権の党政調会長、安倍内閣の党幹事長としての「暴れっぷり」はスゴかった。 矢面に立って「構造改革路線」を押し進めた。 中川秀直氏の「改革派としての覚悟」を最も強く感じたのは、政調会長時代に中川氏が発足させた「歳出改革に関するプロジェクトチーム」の会議だった。 各省の予算を削減するために、担当の部会長が自ら役所の予算に切り込むという「難しい」作業だった。 連日のように激しい応酬が続いた。
 
 「政治家のみ」が発言を許された各分野の会議では(予想どおり)異論が相次いだ。 出席した各部会長から次々に、「公共事業をこんなペースで削減出来るわけがない!」「ODA予算を減らすことは国益に反する!」「社会保障のこの部分は譲れない!」という声が上がった。 かく言う山本一太も、外交部会長として「ODA擁護」の発言をした。 が、中川政調会長(当時)は、すべての質問に自ら答え、容赦なく「自民党議員たちの要請」を突っぱねた。 
 
 「総論」で改革賛成を叫ぶのは簡単だ。 が、「各論」で改革(=歳出削減)を進めるのは並大抵のことではない。 会議の後、中川氏と(どちらかと言えば)緊張関係にあった財務省の役人がつぶやいていた。 「党内の反対を押し切ってここまでやるとは思わなかった。中川政調会長には、政治家としての信念がある!」と。
 
 「苦しくても改革を続行する。それしか日本復活の方法はない!」 この点については、中川秀直氏と自分の考え方は「ほぼ完全に」一致している。 正直言って、外交・安保政策(とりわけ対中政策と対北朝鮮政策)に関しては「やや温度差」がある。 が、経済政策や政治改革、将来の国家像に関しても、中川氏の「哲学や理念」に賛同出来る部分が多い。 政策通だし、胆力もある。 森内閣時代に「官房長官辞任」の引き金になった「あのスキャンダル」(謀略?)さえなかったら、「改革派」の旗頭として、次の自民党総裁候補の「最右翼」の1人になっていたはずだ。 改革派のリーダー的存在である中川秀直氏が、なかなか「内閣の表舞台」に立てない! これは自民党にとって実に不幸なことだと思う。
 
 が、しかし、期限切れになった「暫定税率」を衆院の3分の2で再可決する問題については、(残念ながら)中川秀直・清和研代表幹事と山本一太の意見は違う。 マスコミ報道によれば(直接、本人から聞いたわけではないが)、中川秀直氏は、「3分の2の再可決(=いったん下がった税率をもう一度上げる)は難しい!」と繰り返し言っているらしい。 そこは練達のベテラン政治家である中川元幹事長のこと。 何か「深謀遠慮」があるのかもしれない。 が、自分は「3分の2の再議決」は断固やらねばならないと考えている。 その理由は次回のレポートで。
 
追伸:午後3時30分から衆議院議員会館の会議室で「道路特定財源の一般財源化を実現する会」(仮称)の設立発起人準備会がある。 何だか「ふわーっとした集まり」になりそうな予感がする、な。 「改革ナントカ議連」と同じ匂いがするもの。(苦笑)


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