11月18日:パート2




 午後12時40分。富岡市内のレストランでそば定食を注文。黒い鞄からパソコンを引っ張り出した。午前中から各地域の弔問。午後からは前橋市内の挨拶回りをやる。

 

 ご焼香にうかがった先で、91歳のおじいさんに会った。「息子が先に逝っちまうなんて、本当にがっくりきた!」と肩を落としていた。昭和16年に高崎連隊に入隊して、中国戦線やラバウルで従軍したそうだ。マラリアにかかって、病院船で帰国。大阪の赤十字病院で命拾いしたエピソードを聞いた。「長く生きてると、本当にいろいろなことがあるよ。なにしろ、このオレが生き残ったんだから、な。まあ、あんな馬鹿な戦争をやっちゃあいけない!」 

 

 ラバウルの日本軍は、比較的涼しい海岸線に陣取ったらしい。「あんたにこんなこと言っても分からないと思うけどな。食べ物はがヤシの実しかないんだ。現地人は木登りが上手だから実がとれるけど、日本の兵隊はうまく登れない。それで、ヤシの木を切り倒して、実を食べたんだよ。」「そうだったんですか。大変だったんですねえ。」「うん。ところが、だ。部隊長から、木を切ると敵機に発見されやすくなるからいかんという命令がきた。それで全く食べるものがなくなっちまったんだ。」

 

 あ、食事(そば定食)が来た。炊き込みごはんも、煮物もついてる。毎日、木の実だけの生活なんて想像もつかない。「平和な時代」に生まれてよかった。政治家の責任は重要だ。よしっ!残さずに全部食べる。続きは次回のレポートで。

 

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