10月12日:パート3




 午後10時。高崎駅から東京行きの列車に飛び乗った。座席に座り、背広を脱いでから、駅の売店で買ったヨーグルトドリンクを飲んだ。そのまま、5分ほどリラックス。本庄早稲田駅に着いたところで、黒い鞄からパソコンを引っ張り出した。ふう。ちょっとしたロングドライブだったな。

 

 草津町の葬儀場に着いたのは午後8時過ぎ。お通夜は終わっていたが、故人の親族やいつもお世話になっている町の人々が集まっていた。眠っているような安らかな表情だった。先代の父の時代からお世話になっていた。子供の頃から知っているが、昔からちっとも変わらない人だった。ご遺体の前でお線香をあげ、手を合わせた。長い間、本当にお世話になりました。ずっと親切にしていただいたことは、忘れません。

 

 滞在時間は約10分。再び車に乗り込もうとすると、草津の叔父が「いっちゃん、これ読んだかい?」と言いながら、ある新聞記事の切り抜きをポケットから取り出した。先週の土曜日。朝日新聞のBeの「読み・解く:政治」というコーナーに掲載された「論功行賞と素浪人」というタイトルのコラムだった。「ええ、読みました。いい記事ですよね。」

 

 実はこの記事、地元の山本一太ファンの間で「静かなブーム」(笑)を巻き起こしている。手渡された記事を改めて読みながら、思った。「なるほど。世の中には、こんなふうに『まっすぐ』見てくれるジャーナリストもいるんだなあ。草津小学校の同級生の家にまでわざわざ取材に来て、とにかく『ネガティブ』なエピソードばかり見つけ出そうとするマスコミ関係者?(ジャーナリストではなさそうだが??)もいるというのに。(*ま、これはこれで光栄な話だ。(笑))

 

 記事と言えば、前回のレポートで某週刊誌に掲載された平沼赳夫氏のインタビュー記事に触れた。もう一度読み返してみると、平沼氏の言葉のトーンには「いつものおおらかな感じ」が戻っている気がする。いろいろと言いたいことはあるが、この「新幹線レポート」でごちゃごちゃと「細かい反論」はしない。「復党問題」については、時間のある時に改めて詳しく自分の意見を述べたい。来年の参院選挙にも直接関わる話だ。軽々しく「断片」だけを書くわけにはいかない。ひとつだけ誤解を解いておこう。

 

 自分自身の「政治的信念」に基づいて発言したり、行動したりしたことについては、いちいち言い訳したりしない。どんなプレッシャーをかけられようと、どんなに恫喝されようと、簡単に膝を屈したり、逃げ出したりしたことはない。平沼氏の話によると、まるで自分が「激しく攻撃されて」尻尾を丸めてシュンとなってしまったかのようなストーリーになっている。が、これは(申し訳ないが)事実と違う。(隣にいた荒井広幸氏と浅草キッドの水道橋博士に聞いてもらえば分かる。)その場で口論しなかったのも、その後の収録で「大人しくしていた」のも、(テレビ番組の収録をぶち壊したくなかったこともあるが)平沼氏の言葉にひるんだからではない。数々の要職を歴任し、一時は「総理候補」とまで言われた大物先輩議員に対して「無礼なことは言いたくない」と思ったからだ。

 

 あ、もう東京。続きは次回のレポートで。




追伸:ちょうど午前零時。東京の部屋で短い追伸を書く。本日のブログへのアクセスは7973だった。ようやく8000まで戻ってきた、な。

 

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