8月27日:




 午前11時。いつもより遅い新幹線で地元に向かっている。午後からは中之条町町長の後援会総会。続けて高崎市・市議会議長の就任祝賀会と続く。中之条の会合の第2部では、自分より若い町長を囲む「対談」(?)にも参加する予定だ。

 

 昨日の午後、河野太郎氏が議員会館事務所をフラリと訪ねてきた。総裁選挙の推薦人集めのために衆参の議員会館事務所を回っているようだ。渡された文書には「総裁選挙での支持とは別に、『年金問題』を総裁選挙の議論のテーブルにのせるという目的で推薦人として名前を貸してほしい」という主旨のことが書いてあった。河野太郎らしい「直球のアプローチ」だと思った。数分の短い会話を交わした。

 

 「一太さん、推薦人になってもらえませんか?」「そりゃあ、無理に決まってるよ!(笑)でも、太郎ちゃんには、最後まで頑張ってもらいたい。ところで、横浜のブロック大会の演説は良かった。ポスト安倍の有力候補になるんじゃないかという『スター性の片鱗』を示したよね。あ、『君が代』の音程が外れたこと、『ごまめ』にも書いたでしょ。」「うん。あれでリラックス出来た。ありがとうございました!(笑)」

 

 河野太郎はけっして「無謀なドンキホーテ」ではない。今回の出馬表明に関して、彼には彼なりの戦略と計算(思ったようには運んでいないが)があった。ただし、同じことをやるにしても、河野氏には「ずるさ」というものが感じられない。そこが政治家・河野太郎の一番の魅力だ。

 

 以前のレポートに、「政治なんて、100%、打算だ」と書いた。何度も言っているように、政界に「甘っちょろい友情」などというものは存在しない。政治家でなくなっても「変わらずにつき合いたい」と感じる政治家に巡り会ったとしたら、それは「想定外の幸せ」だと書いた憶えがある。政治家が戦略的でしたたかなのは、あたり前だ。が、「したたかなこと」と「ずるいこと」は(自分の中では)明らかに違う。たとえ1%でも、打算の中に「信義のかけら」や「損得抜きの信念」が垣間見えるかどうか。「信義のかけら」を持たない政治家は、どんなに要領が良くて、ポストをせしめるのが上手でも、決して大成しない。

 

追伸:あ、もうすぐ高崎。続きは次回のレポートで。