午後9時20分。新幹線で東京に向かっている。午後10時30分から都内の某ホテルで来日中の中国政府関係者と会う。せめて30分でも意見交換をしておきたい。

 

 世の中には様々なタイプの人間がいる。たとえ意見が違っても、「主張」に一貫性と論理性のある相手となら議論が出来る。「なるほど、こんな見方もあるのか」と気づかされたりもする。最も取り扱いが難しいのは、世の中のすべての現象を自分の都合良く解釈し、旗色が悪くなるとコロコロと意見を変え、思い通りにならないとすねたり、怒ったりするタイプだ。感情的で、論理破綻しているこの種の人間とは「まともな議論」が成立しない。すなわち、対応のしようがない。(笑)最近つくづくそう思っている。 え?別に特定の個人を念頭に置いているわけではない。あくまで一般論だ。

 

 少し前のレポートで、山本一太が安倍長官を「突出して応援してきた」ことに対する「贔屓の引き倒し論」や「安倍さんのためにならない分析」などというものは、「ちゃんちゃらおかしい」批判だと書いた。この件については改めて(少し丁寧に)解説するとして、ひとつだけ言っておこう。

 

 「贔屓の引き倒し」とはどういう意味だろうか? それは、ある人間が他の人間を応援しようとして、その人を評価したり、褒めちぎったりすることで、逆にその持ち上げられた人物が(回りから)「あいつは嫌なヤツだ!」「こんな人物だったのか」と思われてしまう(誤解されてしまう)というケースだ。

 

 今回の総裁選挙で、自分は見返りを求めずに「捨て身で」安倍さんを応援してきた。しかも、本人に頼まれてやっているわけではない。「うまく勝ち馬に乗ろう」とか「安倍さんに恩を売ろう」などと思っている人々から、山本一太の「応援手法」に批判が向けられたり、「山本はやり過ぎだ」「あいつはバカじゃないか」という声が出てくるのは自然の流れだろう。が、山本一太が安倍長官を「一途に応援している」からといって(やっぱり安倍さんには魅力があるんだなと思われることはあっても)「安倍さん自身がダメだ」とか「安倍長官には落胆した」などと言われるはずがないではないか!!

 

 あ、「間もなく東京駅」のアナウンス。続きは次回のレポートで。

 

追伸:現在、帝京大学教授を務める野田実氏(元衆院議員)から携帯に留守電メッセージが残っていた。「あ、山本さん。野田です。『なぜ、いま、安倍晋三なのか』を書店で買ってきました。これから読ませてもらいますが、(書店の情報では)かなり売れているらしいですよ。」