午前8時。永田町付近のカフェで紅茶とパンの朝食をとった。午前7時30分まで文化放送の「吉田たかよしプラス!」で金曜日のコメンテーターを務めた。今朝は(珍しく)出席しなければならない党の部会や調査会が見当たらない。早々と本日のレポートを終わらせてしまおう。その前に、紅茶、もう一杯買ってこようっと。

 

 日本が国連安全保障理事会に提案した「北朝鮮のミサイル発射実験に関する決議案」の審議は続いているようだ。国連機関に勤務した経験からいうと、(たとえ安保理メンバー15のうち12が賛成していたとしても)常任理事国である中国とロシアの反対を押し切って「当初の制裁措置を含む決議」を採択するというのは、容易な作業ではない。それにしても、今回の安保理協議の主役は紛れもなく安保理メンバー国(非常任理事国)のひとつである日本政府だ。98年のテポドン・ショックの際も、日本政府は国連決議の根回しに動いた。が、安保理に入っていなかったことが最後まで響き、「議長声明」すら採択出来なかったという苦い思い経験がある。やっぱり安保理(取締役会)に入らないと何も出来ないということだ、な。

 

 国連本部で会見する大島大使の横にボルトン米国国連大使の顔が映っていた。対国連強行派のボルトン大使は、敵に回すとこの上もなく「やっかいな」人物だが、こうした局面になると(味方にすると)これほど頼りになる存在はない。まさに諸刃の剣だ!(笑)各国の利害がぶつかり合う国連社会では、個々の外交官の力量や個性(=存在感)が議論の流れを大きく左右する。安保理改革反対の急先鋒だったイタリア国連代表部のフルチ前大使がいなかったら、「コーヒークラブ」(安保理改革反対グループ)の活動があれほど活発になることはなかっただろう。「G4戦略」は頓挫したが、大島国連大使が有能な外交官であることは間違いない。北岡伸一大使の抜擢も正しかったと思う。佐藤幸雄元大使なんて、「練達のディプロマット」だった。それでも国連外交をリード出来るような人材は明らかに不足している。佐藤元大使のような「国連で存在感を発揮出来る外交官」をどんどん育てないかぎり、国際社会のメジャープレーヤーにはなれないということだ。

 

 話題を変えよう。一昨日の午後、吾妻町のセレモニーホールで行われた地元秘書の葬儀で、「親族に代わって」挨拶に立った。地元の草津町はもちろん、亡くなった秘書が担当していた吾妻郡や利根郡等から大勢の方々が足を運んでくれた。持病を抱えながらも最後まで頑張ってくれたこのベテラン秘書は、亡父が以前経営していた旅館に若い頃から務めていた。子供の頃から自分にとっては「とても身近な」存在だった。喪主である奥さんのご両親と亡くなったうちの両親が親戚同然の付き合いをしていたこともあり、彼女もほとんど家族の一員のように思ってきた。秘書としてのキャリアは亡父の事務所に1年、山本一太事務所に10年。来年の厳しい選挙を控え、優しくて忍耐強いこの人物を失ったことは、計り知れない損失だ。でも、「選挙」は間違いなくやって来る。残りのメンバーと力を合わせて頑張るしかない!

 

 「あんたのところの議員は、何で他県の安倍さんなんか応援するんだ!」9月の総裁選挙をめぐる自分の行動について、選挙区の方々にお叱りを受けていると以前のレポートに書いた。特に、地元スタッフはあちこちで「イジメにあっている」ようだ。(*辛い立場だと思うが、踏ん張ってもらうしかない。)数ヶ月前、亡くなった秘書と一緒にクルマで吾妻地域を回った。車中でこんな言葉を交わした。「00さん。私の行動のせいで、皆から怒られませんか?悪いですねえ」「いや、一太さん。選挙に長年関わってきたお年寄りの方々とか、役職のある人たちからは、いろいろと文句を言われます。ま、心配してるってことですよ。でも、一般の人たちの中には『山本一太』ファンが意外に多い。若い人達も違和感はないみたいですから、大丈夫でしょう!」「そうですか…それならいいんだけど、ね。」

 

 亡くなった後で分かったことだが、この会話を交わした翌日か翌々日に草津の叔父のところを訪ねて相談していたらしい。「いや、まいりました。一太議員が言うことを聞かないので、困ってます。(笑)いろんなところで怒られちゃって」と言っていたそうだ。叔父と叔母からその話を聞いて、「ああ、そうだったんですか。やっぱり、自分のせいで寿命を縮めちゃったかなあ。」と言うと、叔父は笑顔でこう答えていた。「でも、な。困ったといいながら、ちょっと嬉しそうでもあったんだよな。」そう言えば、秘書が入院する前に話したという支持者の方もこんなことを言っていた。「いや、『一太さんは決めたら回りの言う意ことを聞かないんでまいります』なんて頭はかいてたけど、あちこちで話題になるのはいいことだとも言ってたよ。偉い人から悪口は言われるけど、逆に一般の人からは人気はあるんですよねとも話してたぞ。」

 

 日頃から、「もっとうまく立ち回ってくれればいいのに」「さて、議員の行動をどう説明しよう」なんて思っていたに違いない。が、それでも心のどこかで、「こんな『やんちゃ坊主』は放っておけない。自分が何とかしてやらないと」とか、「他の政治家にない『いいところ』も一杯あるんだよな」くらいのことは、思っていてくれたのかもしれない。そう思わないと…とてもやり切れない。

 

 00さん。長い間、いろいろとお世話になりました。たとえ「四面楚歌」になっても、このスタイルまっすぐ走ります。3回目の苦しい戦いを勝ち抜くことが出来たら、改めて報告するから。愛する草津の地でゆっくり休んでください。合掌。

 

追伸:

1.9月の総裁選挙では「新旧の官房長官が対決する」という自分にとっても、事務所秘書にとっても「最悪のストーリー」になる。必ずそうなる。世の中とはそういうものだからだ。そして、どんなに苦しくても「初心」を貫くことしか考えていない。欠点だらけ(弱点だらけ(笑))の政治家山本一太にとって「最も貴重な財産」は、自分の手足となって動いてくれる「事務所スタッフ」だと思っている。




 場合によっては、後援会を作り直さねばならない地域も出てくるだろう。お世話になっている地元の後援会幹部や資金団体役員、さらに一般メンバーの方々の中には「役職を辞任する」「会を抜ける」と言ってくる人々も出てくるにちがいない。今後の展開によっては、来年の選挙が保守系候補2名による分裂選挙になることさえ考えておかねばならない。

 

 何度も言っているように、ここまできたら自分は「中途半端なこと」をするつもりはない。後援会の一部を解散することを余儀なくされようが、政治資金が半分止まろうが、9月までこの姿勢でまっすぐに突き抜ける。東京のスタッフにも、地元スタッフにも、改めてそのことを覚悟してもらいたい。その上で(*苦労をかけて本当に申し訳ないと思うが)最後まで自分についてきてもらいたい。9月に向けて「安倍支持」を訴える機会があれば、どんどんメディアにも出る。「安倍待望論」の本も、間もなく出版する。必要があれば、9月以降に群馬県内を飛び回る予定の「ニュータイプ遊説カー」も総裁選挙のために引っ張り出すつもりだ。(*ただし、群馬県内では一切、「安倍支持の活動」は控える。それがせめてもの礼節だ。)

 

2.葬儀の後(?)、東京事務所の秘書と地元スタッフが飲みに出かけたらしい。地元の某秘書がこんなことを言っていたそうだ。「まあ、うちの事務所にもいいところがある。だって、議員本人の悪口を平気で言い合えるんだから!(笑)他の事務所じゃあ、とても、考えられないよねえ。」