朝7時。眠い目をこすってパソコン画面に向き合っている。昨晩、ひとつ書き忘れたことがあった。それは「福島支局での最後の数日間」のことだ。20年前のある日の夕方、「今日こそ、辞めよう!」と決意してポケットベルのスイッチを切り、「1人でゆっくり考える」ことに決めた。もう本当に仕事が嫌になって(ほとんどふてくされた状態で)何もする気が起きなかった。いくら毎日のように仕事で失敗を重ねていたとはいえ、「連絡不能」状態になったのは、この日が初めてだった。(*社会人のくせに、とんでもないヤツでしょう?!)福島市内のホテルに予約を取り、部屋にチェックインした。ベッドに横になり、久々にリラックスした。「さて、亡父にどう説明したらいいか。支局長にどう切り出せばいいか」と思案した。

 

 実はこの4,5時間(?)の間に、福島支局では「山本一太が行方不明になった!!」と大騒ぎになっていた。(*ああ、これも思い出すだけで恥ずかしい。)ええと、夜何時頃だっただろうか。テレビのニュース(?)を見ながらコーヒー(*当時は紅茶党ではなかった)を飲んでいると、誰かが部屋を訪ねてきた。ホテルのスタッフかと思ってドアを開けると、父親が立っていた。「あ、親父さん。なぜここにいると分かったんですか…!!」後で聞いた話だが、弟が福島市内のホテルを調べて、宿泊客に「山本一太」という名前を発見したらしい。(*実名でチェックインするところが、また間抜けだ。(笑))

 

 支局長から連絡を受け、心配して(新幹線で)群馬県からかけつけてきたという亡父の顔を見ながら、さすがに「心から申し訳ない」と思った。2人だけで30分ほど話をした。「どうしても辞めたいのか?一生懸命やったのか?」「ええ、頑張ってみたんですが、この仕事には全く向いていません。心配かけて本当に申し訳ありません。」

 

 その日のうちに、「辞める」ことが決まった。翌日(だったと思う)、支局長に会って正式に「退職する意志」を伝えた。「支局の皆さんにご心配とご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません!」と謝った。正直に言うと(頭を下げながら)「ああ、これでようやく悩みから解放された。やっと辞められる」と思った。(*回りに迷惑をかけておきながら、実はホッとした。けしからんヤツでしょう?!)20代の無責任でバカな若者だった。

 

 あ、もう午前7時30分か。党の部会に行かないと。この続き(「なぜ亡くなった両親に謝らなければならないのか」)は次回のレポートで。

 

追伸:昨晩の睡眠時間はゼロ。実は昨日の午前零時過ぎに、体調を崩して入院していた地元の第一秘書が亡くなった。両親の時代からこの秘書一家と「家族のように」付き合ってきた。昨日の午後、吾妻郡の秘書の自宅で「対面」した。安らかな顔だった。地元を一緒に回ったシーンが次々に心に浮かんできた。結局、一睡も出来なかった。

 ああ、どうしていい人ばかり、先に逝ってしまうんだろうか。当然のことながら、今晩のお通夜にも、明日の葬儀にも参列する。葬儀では「親族代表(?)」として参列者の方々に挨拶することになるだろう。