山本一太が9月の総裁選挙で「安倍支持」の姿勢を鮮明にしていることについて、地元の何人かの実力者が「名指し」で山本批判を始めたらしい。「まったくけしからん!」というフレーズから、いよいよ「来年は落選させてやる!」というセリフに変わってきたようだ。どんな「罵詈雑言」が聞こえてきたとしても、自分はけっして悪口を言い返したりしない。特定の個人の名前をあげて公然と誹謗・中傷することは、自分自身の「品格」をおとしめることになる。

 

 国政選挙でも、地方選挙でも、首長選挙でも、同じだと思う。一部の偉い人々が、「ある政治家が気に食わないから落選させよう」「自分たちの意向を聞く人物にすげ替えよう」と考えて打つ選挙は、ほとんどの場合、うまくいかない。他人への悪口は、ネガティブな「言霊」を逆流させ、言った本人に戻ってくるからだ。しかも、「一部の偉い人々」と「一般の有権者」の意識は(多くの場合)乖離している。他方、「この人物ならこの地域を活性化出来る」「この政治家なら日本を立て直せる」という動機で擁立した候補者には勢いがある。応援する陣営にもポジティブなエネルギーが生まれる。

 

 ここ数年、様々なグループから「知事への転身」を薦められてきたと以前のレポートに書いた。「現職の知事に勝てるのはあなただけだ!」とか、「立候補すれば必ず知事になれる!」と言ってきた人々はいても、「山本一太なら群馬県に新風を吹き込める」とか、「あなたなら県政を改革して、ダイナミックな施策を実行出来る」とか、「あなたのアイデアと実行力で群馬県の魅力を内外に発信して欲しい」と言われたことは一度もない。実際、今回の「総裁選挙騒動」が起こって以来、最も熱心に「知事選出馬」を促していた人々からの勧誘はピタリと止まった。なるほど、自分たちがコントロール出来ない人間は「お呼びでない」ということか。改めて思った。「ああ、出馬の要請を断ってきたのは、やっぱり正しかった」と。

 

 自分が政治生命を賭けて戦っているのは「アンチ安倍勢力」ではない。自民党の「古い政治文化」そのものだ。ここまできたら、どんな恫喝にも屈しない。来年の選挙で自分の「時価総額」を決めるのは、「一部の偉い方々」ではない。1人1人の有権者だ。あ、もうこんな時間(午後7時20分)か。そろそろ会合に出かける時間だ。続きは次回のレポートで。