夕方の新幹線で地元に向かっている。今晩、群馬県の某町で行われる「一太塾」の発足会合に出席するためだ。「アジア外交」について講演する。こんな状況の中でも、「新たな支援グループ」が立ち上がる地域がある。地元秘書の努力には頭が下がる思いだ。

 

 さて、前回のレポートで、9月に安倍内閣が出来た場合は「素浪人になる」と書いた。実は総理直々の抜擢がなかったとしても、参院自民党の「年功序列ルール」に照らせば「副大臣」のお年頃に達している。すでに同期のかなりの数の参院議員が副大臣を経験した。面倒見のいい景山俊太郎氏あたりが、「外務副大臣をやらないか」なんて言ってくれるかもしれない。が、こういうのも受けない。

 

 そうは言っても「小人」(=小人物)だから、安倍内閣組閣(もしそうなったらの話だが)の当日には「副大臣くらいは…」なんて下心が出てくるかもしれない。だから、前日に日本を離れることに決めた。ソウルか上海か、あるいはニューヨークで「組閣のニュース」を見ることにしよう。そして現地からタイムリーに「直滑降レポート」を書く。安倍内閣の布陣を批評したりして。(笑)そして(やはり「小人」だから)組閣名簿を見ながら、「なるほど。この政治家も入ったのか。陰では随分、安倍批判をやってたのに」とか、「ううむ。やっぱり要領がいいよなあ」とか、「あれ。どちらか勝ち馬に乗ればいいなんて言ってたのに。安倍首相は、すっかり騙されたな」なんて思うだろう。(笑)そういう「悔しさ」もちゃんと覚悟した。

 

 僭越ながら、これだけは言っておこう。たとえば、参院サイドの「外務副大臣」になったとしたら、これまでの副大臣の何倍も活躍する自信がある。1999年から2000年にかけて河野外務大臣の下で外務政務次官を務めた時は、「政務次官の枠を超えた」活躍をしたと自負している。外相でもないのに、当時のオルブライト国務長官と会談し、共同記者会見までやった。翌日の(?)朝日新聞の夕刊に「米国出張で『目立っちゃった山本次官』」なんて記事が載ったくらいだ。

 

 日米首脳会談に同席し、トルコの大統領に会い、中国の外相と議論し、韓国の外交通商省と面談し、インドの外務大臣と意見を交わした。ロックバンドをやっていたことはワシントンポストのコラムでも紹介された。韓国には独自のネットワークがある。中国とも交流の小さな芽を作ってきた。米国政府や議会との人脈もうまく再構築してみせる。英国BBCラジオのインタビューも1ヶ月に数度のペースでこなしてきた。英語も短期間でブラッシュアップ出来るだろう。「ポストがこなせない」のではなくて、誘いがあっても「受けない」ということだ。

 

 「ポストがないのは必ずしも能力がない(ま、そういう面もあるけど)からではない」ことを、選挙区の支持者によく説明しておかねばならない。(笑・笑)あ、もうパソコンの電池が切れかかっている。続きは次回のレポートで。

 

追伸:

1.ここからは東京に向かう新幹線からのレポート。腕時計の針は、午後10時15分を指している。「一太塾」の参加者は予想より少なかった。難しい地域である上に、幾つかの行事が重なったようだ。が、約1時間、自らの政治哲学や対中外交について「魂を込めて」語った。とても意味のある会合だった。集まっていただいた皆さん、ありがとうございました。この難しい時期に、地元の担当秘書もよく頑張ってくれた。昨日の玉村町に続く成果だ。東京に着いたら電話を入れておこう。

2.「万一安倍内閣が誕生したら」などと脳天気なことを書いてしまったが、総裁選挙までにはまだ4ヶ月もある。現時点で「世論調査でリードしている」からといって、全く楽観を許さない。9月の戦いは予断を許さない勝負になるだろう。

3.総裁選挙の10ヶ月後には「自らの参議院選挙」が待ち受けている。これまでで最も苛酷な戦いになるだろう。考えてみたら、どのみち政府や党のポストなんてやっている余裕はない。

4.政治家は「口に出したこと」を守らねばならない。このレポートを書いたことで、(たとえ9月に安倍政権が実現したとしても)「安倍総理を支えるポジションにつく」という(もともと僅かな)可能性が完全に消えた。ああ、なんかスッキリした。

 何らかのポストに就くことはなくなったとしても、自分には1つ目標がある。仮に安倍総理が生まれた時、安倍氏のコアの支持者の中で1人でもこう言ってくれる人を作ることだ。「安倍さん、総理になれて良かったねえ。でも、あの山本一太だっけ。あんなに一生懸命やってたのに、近くに置けないのがちょっと残念だねえ。」そのくらいの仕事はやってみせる。