午後11時。東京の部屋で本日2本目の短いレポートに取りかかっている。ううむ。まだふくらはぎに痛みが残っている。蜂蜜入りの温かい「朝鮮人参茶」で体調を整えよう。

 

 さて、地元群馬県には山本一太のことを息子のように可愛がってくれる「おかあさん」が複数いる。

皆、面倒見がよくて、ハッキリとものをいう上州の「肝っ玉かあさん」ばかりだ。自分はけっして「女性にもてるタイプ」ではないと思うが、どういうわけか60代以上の「母性本能」を刺激する部分があるらしい。(笑)「とにかく、一太さんのことはほおっておけない。やんちゃなことばかりやるから気になっちゃって。心配なんだよ。」 おっかさんたちは皆、同じことを言う。

 昨日の午前中。その大事なおっかさんの1人から携帯電話にメッセージが残っていた。「あの、00ですけど…電話ください。」 午後2時過ぎに自宅に電話を入れてみた。15分ほど、こんな会話を交わした。

 

 「あ、おかあさん。山本一太です。お久しぶりです。いろいろご心配をかけているようで、申し訳ありません。」

 

 「あ、一太さん。そうなんだよ。ほら、このあいだ、歌を作って歌ったでしょう。私なんかはいいと思うんだけど、回りの年寄りがいろいろ言うもんだから、心配になったのよ。テレビが取り上げるもんだから、皆に伝わっちゃうんだ。私はああいう新しいやり方は嫌いじゃないんだけどね。」

 

 「はあ、そのことでしたか。すみません。賛否両論覚悟でやったんです。ああいうことばかりやってるわけじゃないんですけど。おかあさんの言うことだから、少しやり方を気をつけます。」

 

 「うん。それは分かってるよ。実は息子から『そんなことで一太さんに電話するな』って言われたのよ。『山本一太はあのやり方で十分当選出来るからいいじゃないか』って。でも心配だったからね。」

 

 「はい、よく分かります。ありがたいと思ってます。政治の仕事は手を抜かないでやりますから。」

 

 「うんうん。知ってるよ。お父さんも真面目な人だったし、一太さんが一生懸命やってることは分かってるのよ。ほら、今朝も早い時間にテレビ(「サタデーずばっと」のこと)出てたでしょう?ちゃんと見てたんだよ。ああやって、真面目に議論しているのはいいじゃない。途中からいなくなっちゃったけど、あれは予定どおりだったのね。」

 

 「ええ、コーナー出演だったんです。それにしても、早朝から私の出演番組を見ててくれたなんて嬉しいですね。」

 

 「え?そりゃあ、一太さんの出てるのはほとんど見てるんですよ。ところでほら、テレビとかで次の総理は安倍さんがいいってよく言ってるでしょう?地元には福田さんがいるから、これもちょっと心配なんだよ。とにかく来年の選挙に絶対受かってもらわないと困るからさ。」

 

 「あ、そのことですか。ご心配かけてごめんなさい。でも、福田先生のことは尊敬してますが、こればかりはどうしようもないんです。もうずっと前から安倍さんを応援すると言ってきたし、ここ何年か、党の中で世代交代の旗を振ってきたのは私なんです。今さら態度を変えたり、大人しくしたりなんて器用なこと、出来ないんですよ。」

 

 「うん。それは分かってる。私はいいんだよ。一太さん、福田さんの悪口は一切言ってないしねえ。でも、高崎のあたりで評判が悪くなってるって言ってきた人がいるもんだからね。ちょっと心配だったのよ。9月まで安倍さんとも福田さんとも言わないですめばなあって思っちゃうんだ。でも、男がいったん言い出したことを引っ込められないよね。回りの仲間からも信用なくなっちゃうしね。」

 

 「そうなんです。こういう質なので、曲がれないんです。」

 

 「いや、私もそうだから分かるよ。一太さんのファンはあちこちにいるかね。この間も00町の町長選挙の応援に来てくれたみたいね。決起大会に。私も外にいたんだけど、寒かったから帰っちゃったんだ。でも、あの一太さんが来てくれたって言ってた人が大勢いた。好きだって人は多いよ。」

 

 「いや、それはひいき目だと思いますけど。(笑)とにかく、何があってもおかあさんだけは応援してください。そうすれば、きっと何とかなると思ってますから。」

 

 「うん。分かってるよ。とにかく身体に気をつけて、頑張って。応援してるんだからね。」

 上州のおっかさんのこの言葉は、地元で自分を応援してくれている「山本支持者」の方々の気持ちを代弁しているに違いない。こんなに自分のことを心配してくれる応援団が(1人でも)いるなんて幸せだ。でも、自分は政治家として自らの信念に従って行動する。安倍総理の実現のために政治生命をかけて奔走する。これだけは絶対に変えられない。

 

 だから、お母さん。どんなことがあっても、最後まで不肖の息子のことを応援してください!!

追伸:本当の母親は4年前に逝ってしまった。でも生きていたら必ずこう言ってくれたに違いない。「あなたの思ったとおりやったらいいわよ。私は何があってもあなたの味方だから、ね。」