今回の民主党の「偽メール騒動」は、政治家としての自分に様々なレッスンを残してくれた。 政治における「危機管理」というものがいかに重要か、公の場(常任委員会)で発せられた政治家の発言にどれだけの責任が伴うか、そして政治家の「出処進退」の判断がどれほど難しいものか…等々。 特に強く感じたのは、国会議員というものは、自分の言動に対して、常に「責任を取る覚悟」を持たねばならないということだ。

 

 政界に生きている以上、永田議員のケースはけっして他人ごとではない。 自分だって、いつ、どこで判断ミスを犯し、危機管理に失敗して、「似たような状況」に立たされるかは分からない。 思いもかけない「イメージダウン攻撃(?)」に遭って、マスコミや世論のバッシングに晒され、窮地に追い込まれるかもしれない。 「一寸先は闇」という「権力闘争」の世界だ。 先日、国会の委員会で永田氏への質問に立った平沢勝栄氏や葉梨康弘氏は、事件の本質にはしっかり迫りながらも、あえて「厳しく追いつめるような」表現を使わなかった。 「弱いものイジメ」になってはいけないという気持ちに加えて、同じ政治に生きるものとして「自分だってピンチに立たされることがあるかもしれない」という感情が働いたのではないかと思う。 この2人が同じような窮状に陥ることはあり得ないにしても、だ。

 

 いつだったか、総理官邸の「I.Y.懇談」で飯島秘書官がこんなことを話していた。 「総理は政局に影響を与えるような政治とカネのスキャンダルとか、有力政治家の女性問題とか、そういうニュースが飛び込んできても、基本的にあまり興味を示さないんですよ。 そういうことに全く関わってないので心配もしないし、不透明なことがあるなら調べてもらえばいいじゃないかみたいな感じで、ね。(笑)」 

 

 なるほど、小泉総理には「スキャンダルの匂い」というものがない。 これだけ長く永田町の政治文化に浸かってきたこの世代の自民党政治家の中では「異色の存在」だ。 過去5年間、小泉総理が各方面からの反発をものともせず、前任者が誰も出来なかった改革を進めて来られた理由のひとつは、総理のこの「ディフェンスの強さ」にある。 これはポスト小泉を目指す次世代にとっても重要な宿題になる。 改めて「直滑降レポート」で取り上げたい。

 

 さて、大臣でも副大臣でもなく、何の職務権限も持たないマイナーリーグの参議院議員山本一太にも、最近は(様々なルートを通じて)「身の回りに気をつけたほうがいい。」「発言を控えないと痛い目に遭うことになる。」といった警告のメッセージが届くようになった。 中には知人、友人からの親切なアドバイスもあるが、ほとんどはブラフ(脅し)と見ていい。 こうしたサインの出所は、もちろん、安倍官房長官を総理にしたくない「アンチ安倍グループ」周辺と考えて間違いない。 大して影響力もない自分のような政治家にまでこんな脅迫が送られて来るなんて…それだけポスト小泉をめぐる政局が(水面下では)本格的に動き始めているという証拠でもある。

 

 正直に言うが、自分は欠点だらけの、見事なまでに「不完全な人間」だ。 あたり前だけど、「聖人君子」にはほど遠い。 これまでの人生は(子供時代も、学生時代も、サラリーマン時代も、そして政界入りした後も)「小さな失敗の連続」で成り立っている。(*時々、布団の中で「過去の愚かな行動」を思い出したりすると、「ああ、オレは何て馬鹿だ!」「ぎゃあ、恥ずかしい!」と心の中で叫んじゃったりする。(笑) 懸命な読者の皆さんは、そんなこと、ないですよね。) 将来もし自分が政治家として有名になったり(偉くなったり)して注目度が上がれば(それもないような気がしますが)、「山本一太はこんな馬鹿な失敗を繰り返してきた!」とか、「プライベートでも極めて不注意で、そそっかしい人物だ」と報道されたり、書かれたりすることは十二分に考えられる。 が、性格はラテン系のお調子ものでも、政治家としては「かなり真面目に」仕事に取り組んできた。 このことだけは自信を持って断言出来る。 

 

 この際、政治家山本一太の「スキャンダル指数」というものを、「政治とカネ」の側面から考えてみよう。 これも正直に話すと、2世議員として先代の地盤を引き継いだ自分は、「古い政治文化」の呪縛から100%解き放たれているわけではない。 日々の政治オペレーションの中で、厳密に言えば「おかしい」と思うことでも、「昔からの慣習だし、他の事務所も皆同じやり方だから」ということで、そのまま踏襲しているルールもないわけではない。 だいたいにおいて、現在の政治活動の法律やシステムには明らかに「グレーゾーン」がある。 規則自体に曖昧な点があるのだから、現行の「細かいルール」を「厳密に、完全に守っている」国会議員がいるかと言えば、(少なくとも自分が知る限り)そういう政治家には一度も遭ったことがない。 

 

 数年前に雑誌「論座」の論文にも書いたように、「政治活動にきちんとした物差しがない」ことが問題の本質だ。 だから、自分は(出来るだけ透明な政治活動をしようと努力しつつも)日々、「グレーゾーン」の中で悩みながら、迷いながら、政治活動を続けてきた。 当初はなかなか「既存のシステム」を変えられず、「情報公開」もままならなかった時期があった。 「こんなことで政治家をやっている資格があるんだろうか」と悩み、(白状すると)2回ほど、「もう、辞めよう」と思った時があった。 まともな問題意識を持った「2世議員」なら、必ず同じ壁にぶちあたって苦しむはずだ。

 

 それでも、自分はこれまで(特にこの6年間)必死になって旧来のルールを変え、政治資金の流れを分かりやすく整理し、自らの政治活動を出来るだけ透明にしようと努力してきた。 逆に言うと、政治的なリスクを取らなければ、こんな「あたり前のこと」さえ出来なかった。 「論座」の誌上で政治資金の流れを公開することには、東京のスタッフも地元秘書も反対だった。 「なぜ、うちの事務所だけこんなことをしなければいけないのか。 データに矛盾が見つかったりしたら、かえって政敵から批判を受けることになるかもしれない。」という慎重意見がほとんどだった。 

 

 なかなか指示した情報が出て来ないことに業を煮やして、古参の地元スタッフに電話をかけた。 こう話した。 「とにかく、0月0日までにちゃんと数字を出しておくように! もし、こんな情報さえ外に出せないということであれば、私は政治家を辞めますよ。 本気だから、ね!」 あの時から比べたら、現在の山本事務所のスタッフには「政治活動の透明性」という概念がかなり定着している。(と、思う。) 当然のことながら、山本一太自身の「政治改革」は終わっていない。 が、「情報公開」の努力もせず、これまでと同じシステムで政治とカネを回そうという議員に比べたら、百倍、マシだと思っている。

 

 加えて、山本一太は「利権」というものに(全くと言っていいほど)関わっていない。 幸か不幸か、特定の企業のために「公共事業の口利きをする」(役所にプレッシャーをかける)力がないからだ。 (*あっても「不透明なこと」はやらない。) 県内外のいわゆる「建設談合疑惑」とか「受注疑惑」みたいなケースに、自分や事務所秘書の名前が浮上することは皆無だろう。 これまで自分の秘書に対して「違法なオペレーション」を指示したことはただの一度もないし、自分の部下に「ボスに隠れて袖の下をもらうような」人間は1人もいない。 ふうむ。 この手のスキャンダルで「追い込まれる」可能性はちょっと考えられない。

 

 政治活動の資金源についてはどうだろうか。 自分の政治活動資金は、基本的に「企業後援会」(=資金団体)からの透明な政治献金と政党助成金によって賄われている。 政治資金収支報告書は「かなりシンプル」だ。 普通の国会議員なら、ここに「政治資金パーティー収入」というものが加わるはずだ。 が、(これも幸か不幸か)山本事務所は「政治資金パーティー」というものをやらない。 もっと正確な表現を使うと、「パーティー券を売りさばく力がない」(*悲しい言い方でしょう?)ということだ。 10年間の政治生活で開催したパーティーは2回のみ。 最初の選挙で政界デビューした直後に「亡父の遺産(人脈)を使って」東京で行った「偲ぶ会」と、7年前に外務政務次官に就任した際に地元で開催した祝賀パーティーの2回だけだ。 考えてみたら、毎年、同僚議員がパーティーを開く度に、せっせと「2万円」を届けてきた。 これを回収するだけで、かなりの金額になるはずだ。(笑)

 

 「政治資金パーティー」は、現行の政治資金システムの下では「ルールにかなった最も効率的な資金集めの手段」だと言える。 別にパーティーが嫌いだからやらないわけではない。 政治資金パーティーをやるためには、それなりの時間と労力がかかる。 パーティー券を何千枚も売る目処があるならともかく、大して売りさばくあてのない(=大した収入が期待出来ない)パーティーの準備のために、ギリギリの人数で東京と地元の活動をカバーしている秘書のエネルギーを分散させることは「コスト・パフォーマンス」の面からも見合わない。 こうした弱点も「スキャンダル指数」の分析では、ポジティブに働いたりする。 資金パーティーをやらないということは、社会的に問題の多い企業やトラブルを抱えた団体等から知らずに「資金提供を受ける」みたいなケースが起こりにくいということを意味するからだ。

 

 ふう。 随分、長いレポートになってしまった。 「スキャンダルと判断ミスと覚悟:その2」では、プライベートな部分での「スキャンダル指数」を分析したい。 それにしても、こんなことを「国政レポート」に書く政治家って、いないだろうな。

 

追伸:「直滑降レポート」は「山本一太という人間」の本質に迫れるようなものでなければいけないと思っている。 過去、自分がやってきた「恥ずかしい失敗の数々」については、ギリギリまで(回りの人間に迷惑をかけない程度に)書く。 連休後に「傷だらけでも天使じゃない」シリーズを始めます。 そういえば、「なぜ、安倍総理でなければいけないのか」シリーズはどうしたのかって?! 諸般の事情を勘案し、来週の月曜日から連載を開始したい。