昨日、安倍晋三官房長官が地元山口県で「総裁選挙出馬への意欲」をにじませたと思ったら、同じ日に森喜朗元総理が石川県で、「9月の総裁選挙にあたっては派閥の候補者を一本化したい!」と発言した。 

 

 候補者の「一本化」って、どういうことなのだろう? どうやって1人の候補者に絞り込むのだろう? 特定の候補者を名指しして応援することは許されないはずの派閥のメンバーに内々に(?)アンケートでも取るのだろうか? 「一本化」が出来なかったらどうするのだろう? そして、この「一本化」によって誕生する総裁候補は「森派を代表する候補者」ということになるのだろうか? そして、もしこの候補者が総理になったら、各派閥の「閣僚候補リスト」に基づいて大臣を選ぶ「旧態依然の」自民党システムが復活するのだろうか?

 

 森喜朗会長は練達のベテラン政治家だ。あらゆることを考えて発言されているに違いない。が、頭の単純な自分のような政治家からすると、選挙前、選挙後の森さんの一連の発言の「変化」(?)をどうとらえたらいいのか、よく理解出来ない。 本当に申し訳ないが、いくらなんでも…ううむ、これ以上は言うまい。我慢、我慢。

 

 さて、森派総会での「森会長発言」に対する反論の続き。 森会長のスピーチの後、各テーブルを回って仲間と言葉を交わした。少なくとも4人の若手・中堅議員が、「いやあ、森会長がああいうので、安倍支持をおおっぴらに言ってる人間て、オレのことかと思った。」「私の名前も上がるんじゃないかと思った」と言っていた。 山本一太以外にも、メディアや地元の会合で「特定の候補者の支持」を表明している森派の議員はいる。 これ以上「安倍支持」を口にするなら「派閥をやめろ!」というなら、彼らも「同罪」のはずだ。その中であえて「山本一太」だけをやり玉にあげた。 

 

 これは明らかに「ダブル・スタンダード」(二重基準)だと思う。 たとえていうと、小学校のクラスで、担任の先生が(たとえ同じ失敗をやらかしても)自分の「お気に入りの生徒」には怒らず、「嫌いな生徒」だけを廊下に立たせるのに似ている。 これについては、地元の支持者がこう言っていた。「一太さん。それはあなたに他の人と違うインパクトがあるからだよ。総理までやった派閥の長にそこまでマークされるなんて、むしろ光栄だと思ったほうがいい!(笑)」(*もちろん笑いごとではない。今回の森さんの言葉をそんなに軽々しくとられていないからだ。)

 

 さらに、会長発言の「君がそんなこと(安倍支持)を言って、安倍さんはさぞかし迷惑しているに違いない!」という部分について。 「安倍さんを総理にしたい」「新世代の総理を創りたい」というのは、政界に入って以来、ずっと言い続けてきたことだ。 安倍長官に頼まれて発言しているのではないことは、誰でも知っている。 申し訳ないが、あちこちから勝手に「安倍待望論」が出てくるのは、本人に「人望がある」「魅力がある」証拠だ。「騒がしいな」と思っても、あきらめていただくしかない。 

 

 たとえ、山本一太という政治家が、党の幹部でもなく、大臣でもなく、そしてマイナーリーグの「ちびっこ参議院議員」だとしても、「派閥をクビになるかもしれない」かつ「来年の自分の選挙を台無しにするかもしれない」政治的リスクをかけて、「ポスト小泉は、安倍首相しかいない!」と叫び続けている。 他の有力候補(?)の陣営に、ここまでの危険を冒して当の候補を応援しようという政治家は(僭越ながら)1人として見当たらない。 これだけでも、安倍晋三という政治家に「リーダーの資質がある」ことの十分な証明だ。 事実、今日も地元のある有権者から言われた。 「『直滑降」の一太さんが、森さんとケンカしてまで、群馬の有権者の反発を買ってまで、ここまでいい続けるんだから。安倍さんは、やっぱりそれだけの政治家なんだねえ!!」 安倍さんがもし「出馬の決意」を固めていたとしたら(あるいはそのことを真剣に考えているとしたら)、自らの志を奪う「温存発言」のほうが(本心では)ずっと迷惑に決まっている。

 

 時計を見ると、午後6時30分。高崎市内の某ホテルにある料理屋で元大物県議を待っている。そろそろ、来る頃だな。