月曜日。朝の新幹線で高崎駅(街頭演説)に向かっている。いつもの列車に乗り遅れた。この便だと向こうで20分くらいしかしゃべれない計算になる。が、それでも行く。そうか。当日の「遅刻」だから、地元秘書に罰金(1万円)を払わないといけないんだった。(くそっ!)

 

 昨日のレポート「公明党とJBIC」で言い忘れたことを幾つかつけ加えておきたい。第一に、JBICは財務省にとって主要な「天下り先」のひとつであること。総裁を含め、2人の「次官級」を送り出している。JBICという組織がつぶれることは、財務省にとっては貴重な「天下り先」が消滅するということを意味する。

 

 第二に、1970年代半ば(?)に円借款は海外経済協力基金に、国際金融は日本輸出入銀行に担当させるという線引きが固まった。援助と国際金融の目的が異なるということで、あえて2つの組織に分けたという経緯がある。にもかかわらず、再び援助と金融を合体させてJBICを作ったこと自体に無理があった。政治的妥協の産物だった。この組織には、最初から「ボタンの掛け違い」がある。

 

 第三に、現在のJBICの形は変えるべきだとは思うが、この組織に「人材がいない」とは言っていない。JBICの若いスタッフと話してみると、なるほど優秀だ。が、概して、円借款を担当してきた旧基金のスタッフと、国際金融を担ってきた旧輸銀のスタッフでは、自分たちのキャリアパスに対する考え方が根本的に違う。円借款を担当する部門の相手先(顧客)は途上国政府だ。これに対して国際金融に携わる部署が扱うのは民間企業、それも日本の一流企業が多い。援助をやりたいと思って入ってきた職員は「現場主義」の趣向が強く、途上国勤務を望む。他方、国際金融に従事してきた職員にとっての花形ポストは、本部かあるいは先進国の事務所ということになる。こんな異文化対立のある組織で、新たに生まれた「JBICプロバー」たちが力を発揮出来るとは到底思えない。

 

 第四に、「援助調整」がうまくいっているというのは事実と反する。最近でも、同じ国の同じプロジェクトに、借款と無償資金協力のプランが別々に進められ、最後の段階になって重複が判明するといいう「信じられない事例」があった。援助の現場に目を向けてみても、この省庁の縦割りは在外公館にも持ち込まれており、現地政府や国際機関とのスムーズな連携を妨げている。

 

 第五に、被援助国の側からすると、日本の援助のツールが統一されておらず、しかも別々の場所でコントロールされているということは、迷惑以外のなにものでもない。と、ここまで書いたところで高崎。続きは次回のレポートで。

 

追伸:ここからは東京に戻る新幹線車中からのレポート。高崎駅東口の街頭では、消費税問題についてアピールした。演説を終え、駅に向かって走った。若いサラリーマンの男性が声をかけてくれた。「今日の税金の話、とても勉強になりました!」 いつもは「一太さん、頑張って!」とか、「山本さん、応援してますよ!」とかいうエールなんだけど…この反応は嬉しかった。

 本日午後4時30分から、党本部で「政府系金融機関改革に関する合同部会」がセットされている。財務省とJBICが精力的に国会議員や政党へのロビーを繰り返しているようだ。あーあ。普段はODAのことなんて言ったことのない議員がぞろぞろと出てきて、「JBICはそのまま残すべきだ」なんて主張するんだろうなあ。前回に引き続いて、「JBICを潰したら、中国を喜ばせるだけだ」とか、「JBICの総裁が外務大臣の代わりに世界を飛び回れる」とか、「JICAとJBICは組織のノウハウが違うから噛み合わない」とか、「現在でも援助調整はうまくいっている」とか、「援助とはシームレス(?)だ」などという発言が飛び出してくるに違いない。

 

 このHPは(思った以上に)同僚議員、特に若手国会議員に読まれていることが分かった。前回と今回、この「直滑降」レポートに書いたことはあくまで自分の意見だ。政府系金融機関の数についても、また円借款の扱いについても、様々な見方がある。が、どんなに優秀な官僚でも、それぞれの省の「省益」を背負っていることをお忘れなく!!賢明なる同僚議員の皆さん、これは政治にしか決められない問題なんです!!!

 

 もう少し時間があれば、1人1人と会って説明出来るんだけどなー。政治家は(官僚の言葉より)仲間の政治家の言葉を大切にするものだからだ。あ、もうすぐ上野。続きは次回のレポートで。