本日は久々の休暇。都内にあるお気に入りの美術館のカフェでサンドイッチの昼食(ブランチ)をすませ、午後からは奥さんとデート。サントリーホールでクラシックのコンサートを聴いた。マリス・ヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団の日本公演だった。何と言っても圧巻は第一部で登場した天才バイオリニスト「五嶋みどり」氏の演奏だった。繊細で、透明で、正確で、そして力強くて、しかも情感に溢れた音色だった。世界に通用する才能を持ったこんな素晴らしい日本人がいる。政治家も頑張らないとなー!夜は都内で大事な「仕事」をすませた。

 さて、昨日の朝刊に「公明党が政府与党連絡会議で、国際協力銀行(JBIC)の存続を求めた」という内容の記事が掲載されていた。読んだ瞬間、「ええ?何でかなあ?」と思った。この報道、本当に事実なんだろうか。まず、公明党とJBICとの間に「しがらみ」なんてあるはずがない。公明党がJBICという組織を丸ごと残すことに固執する理由が見つからない。さらに言うと、公明党はODA(政府開発援助)の問題にはずっと熱心だった。援助の現場を知っている議員は、むしろ自民党より多いかもしれない。その公明党が「援助のツール(円借款、技術協力、無償資金協力)」がバラバラに管理されていることの弊害を知らないはずがない。

 

 加えて、公明党幹部の発言をチェックしてみると、政策金融機関の改革とODA改革の議論が混同されて論じられている気がする。大事な点を整理しておこう。「政策金融機能を一つの組織に統合するか、それとも複数にするか」という問題と、「JBICから円借款の機能を切り離してJICAと統合する」という問題は(関連はあるものの)同じではない。中小企業への支援に重点を置く公明党が、たとえば「中小企業を対象とした小規模な国内向けの金融機能」と「大規模な資金を扱う国際業務」を一つの機関にまとめて本当に機能するのか」という懸念を表明することは理解出来る。が、その国際業務を「円借款という援助機能」と「国際金融業務」を無理矢理に合体させて作ったJBICという組織に「丸ごとやらせる」ということを公明党が強く主張するなどということがあるだろうか。

 

 いい機会だ。「JBICの機能を見直しつつ、組織はそのまま残すべき」とか「JBICとJICAは一緒にするべきではない」といった議論に反論しておこう。第一に「忙しい外務大臣の代わりにJBICの総裁が世界を飛び回れる。これは日本の国益になっている。」という主張。これは政治家をバカにした議論だ。考えてみて欲しい。なぜ「援助機関の長」に外務大臣の役目を果たしてもらわねばならないのだろうか。何のために外務副大臣や政務官がいるんでしょうか。今回の外務省チームには有能な人材(塩崎恭久副大臣とか、山中華子政務官とか、遠山清彦政務官とか)がズラリと揃っている。(*このトリオはすごい。)彼らに活躍してもらえばいいではないか。

 

 第二に「技術協力と無償資金協力を扱うJICAと円借款を扱うJBICの部門ではノウハウが違う。JICAには円借款を扱う専門性がない。だからうまく噛み合わない。」という反対論。これも本末転倒、ピント外れの意見と言わざる得ない。2つの組織の持つノウハウが似ているから一緒にするのではない。効果的な援助を行うために「援助のツールをまとめる必要がある」という判断でJICAとJBICを一つにしようということなんです。同じ理念と目的の下で、1つの組織が2つの異なった機能(ノウハウ)を持つことに何の問題があるのだろうか。だいたい、「組織の目的や理念は違っても、持っているノウハウが似ているから合体させよう。」「省庁間の対立を考えてここらへんで落とそう。」などという発想だから、援助業務と国際金融業務を結婚させるなどという失敗に繋がった。え?技術協力中心のJICAとJBICの円借款部門を合体させた場合に、現在JBICの国際金融部門が担っている「債権管理」とか「融資の審査機能」(JICAは持っていない)とかはどうするかって? それこそ、枝葉末節の「ためにする議論」だ。制度設計をちゃんと考えれば十分に対応出来る。

 第三に「援助はシームレス(継ぎ目のない)なものだ。実際、援助と金融のコラボはうまくいっている。」という意見。JBICの実施してきた資源開発プロジェクトの中には、確かに(結果として)円借款が民間融資に結びついた例もないわけではない。が、そんなケースはこれまでJBICが手がけてきた数百件のプロジェクトの1割にも満たない。逆に言えば、9割以上のプロジェクトで相乗効果が生じていないということだ。「援助はシームレスだ」と言うなら、まず援助機能(技術協力・無償資金協力・円借款)の「シームレス化」を図るのが先だ。円借款の主役は中国から東南アジア(たとえばインドネシア、ベトナム、ラオスといった国々)等に移っていく。3つの援助ツールを組み合わせることによって「援助効果を高める」プロジェクトのニーズは高まっていくはずだ。物事には、常に「Trade Off」(プラスとマイナス)というものがある。要は、JBICという組織の延命を図るために「援助と金融くっつけておく」ことより、「援助の機能をまとめる」ことほうがずっとメリットが大きいということだ。

 援助と国際金融のコラボということでいうと、もう一つ言及しておかねばいけないことがある。それは、JBICという組織の中で「旧日本輸出入銀行」と「旧海外経済協力基金」の部門が5年経った今でも全く融合していないということだ。まあ、この件はあまり深く触れない。が、組織としてのモラルはお世辞にも高いとは言い難い。

第四に「JBICがなくなったら、一番喜ぶのはなりふり構わぬ『資源ナショナリズム外交』を展開している中国政府だ」という考え方。これもよく理解出来ない。なるほど、JBICが資源開発の分野で「いい働き」をしていることは事実だ。が、この機能は新しい政策金融機関の中にしっかりと残せばいい。なぜ、円借款と国際金融を抱えたままのJBICがこの機能を持ち続けなければいけないのか。独立した組織でなければどうして「資源開発」の仕事が出来ないのか。いくら考えても分からない。

 前のレポートで、「外務省がJBIC問題に消極的になっている理由は分からないでもない」と書いた。外務省幹部は、こう考えているに違いない。「ODA改革の問題はあまりに重要だ。こんな政策金融機関改革の議論のドサクサの中で議論され、中途半端な結論が出されたら大変だ。もっと時間をかけないといけない。ましてや、援助庁のようなものが出来てそれが首相直属になるという最悪のシナリオになったら、組織存亡の危機だ」と。

 改めて言っておくが、「援助庁を総理直属にする」という構想には反対だ。が、ひとことだけ言っておこう。省益を優先するあまりにこれまで「国益に合わない援助システム」を容認してきた官僚の責任は重い。この問題で政治的リーダーシップを発揮してこなかった我々政治家の責任はさらに重大かもしれない。今回の政策金融機関改革の流れは、長年にわたって続いてきた日本の援助政策・組織の歪みを正すための「千載一遇」のチャンスだ。

 ああ、疲れた。容量の小さな頭脳で、こんな難しいことを長々と書いてしまった。ああ、目が回る。午後10時を回った。「義経」の再放送でも見よう。紅茶も入れないと。ああ、疲れた。文章を見直す元気がない。このままHPに掲載することにする。

 

追伸:この問題について自民党が責任を持って結論を出し、その上できちんと説明すれば(必要な機能をちゃんと担保する仕組みを考えれば)公明党の理解はきっと得られると信じている。これだけODAに真面目に取り組んできた政党なのだから…。