本日の2本目のレポートは、東京に向かう夕方の新幹線の車中から。同じ車両(左前方の席)に中曽根弘文参院議員がいる。ホームで短い立ち話をした。「山本:小選挙区制の選挙は恐いですね。勝ちすぎているだけに、次は大変だと思います。」「中曽根:ほんとだねえ。これだけの数をもらったのだから、それだけ謙虚に、いい政治をやらないと。」

 

 さて、今日も朝の新幹線で地元に入った。午前11時。富士見村で行われた「猪谷千春(いがや・ちはる)氏の名誉村民顕彰式」に出席。来賓として祝辞を述べた。猪谷千春氏といえば、日本スキー界の生きた伝説。16歳で日本選手権を奪取。自分が生まれる2年前の1956年、イタリアのコルチナ・ダンペッツォで開催された第7回冬季オリンピック大会の回転種目(スラローム)で「銀メダル」に輝いた天才スキーヤーだ。あれから50年経った現在でも、冬季五輪のアルペン種目(大回転、回転、滑降等)でメダルを取った日本人は誰1人いない。ちなみにこの大会ではオーストリアの英雄、トニー・ザイラーが「三冠王」を達成した。猪谷選手があと数秒早くゴールしていれば、ザイラーの三冠を阻んだかもしれない。

 

 政治家だった亡父は、政界に入る前、スキーの選手としてならなした。国体や全日本の常連で、全日本選手権の滑降競技で2位になったこともあった。その父から、「猪谷千春氏がいかにすごいスキーヤーだったか」についてよく聞かされた。オリンピックの後、日本での大会にはほとんど出場していなかったものの、同時代の日本のスキー選手やスキー少年の間では、猪谷氏はまさしく「カリスマ的存在」だった。(*1970-80年代にあのステンマルクがスウェーデンの少年たちのヒーローだったように。)

 

 現在IOC(国際オリンピック委員会)の副会長を務める猪谷氏は、日本を代表する国際人でもある。1957年に米国の名門ダートマス大学に入学。ハーバード大学のMBAを引っさげて、米国の大手保険会社の重役を歴任した。あの時代に、米国の大学(それもアイビーリーグの名門校)に留学する日本人なんて(フルブライト奨学生とかを除けば(?))ほとんどいなかったと思う。

 

 その猪谷家が京都から関東に移住し、赤城神社の初代神主を務めたこと、千春氏の父君(日本スキー界の草分けとして有名な六合雄氏)が群馬県富士見村で生まれたこと、少年だった千春氏が赤城の分教場に通い、この地でスキーの練習をしていたこと、さらに千春氏の両親の墓が富士見村にあることは、ちっとも知らなかった。(*群馬県の国会議員として失格だな。)

 

 けして雄弁にしゃべるタイプではないが、猪谷氏の受賞スピーチは素晴らしかった。顕彰式の後、猪谷氏を囲んで記念撮影。ガッチリ握手をして、会場を後にした。(*昔のスキー少年としては、ちょっと緊張した。)上州人(群馬県人)のDNAは各界にすごい人材を生み出している。「ちびっこ議員」も頑張らないといけないな。

 

追伸:午後5時20分。有楽町のカフェでジャスミンティーを注文した。(*いつもはダージリンか、アールグレイなんだけど。)これから「ニッポン放送」の番組「福澤朗ラジオ・スター」に生出演する。福澤さんと言葉のキャッチボールが出来るなんて、ちょっと楽しみだ。

追伸:アルペン競技以外の種目、たとえばジャンプや複合では、多くのメダリストを輩出している。代表格は何といっても同じ草津町出身の荻原健司氏(現参議院議員)でしょう。「キング・オブ・スキー」とまで呼ばれたんだから。