東京駅から東北へ向かう新幹線をキャッチした。腕時計の針は午後3時を示している。宮城県の某候補者の選挙区に入り、駅前の街頭演説と二つの個人演説会(応援スピーチ)をこなす予定だ。

 

 さて、「総理遊説チーム」を離れた件について、少し説明しておきたい。

 

ーーとここまで書いたところで、しばらく意識を失っていたようだ。今、目が覚めたーー

 ええと、時間は午後4時。続きを書こう。衆院解散後、党から「遊説局長」に任命された。いろいろな話を総合すると、以下のような流れがあったようだ。

 

1.小泉総理が、「え、山本一太が遊説局長?彼はある程度、知名度もあるんだし、各地の選挙区を回って応援してもらったほうがいいんじゃないかな」という意味の発言をする。

2.それを聞いた武部幹事長が、「それはそうだ」と言い、党の広報担当と遊説局スタッフに「山本一太は遊説局長から外したほうがいい。しゃべれるんだから、応援弁士に使わないともったいないぞ!」という趣旨の指示を出す。

3.上記の動きを察知した山本一太が、遊説局担当者に「自分は何があっても総理に同行する」と伝える。同時にHP上で、同行の決意(笑)を述べる。

4.総理官邸で会った飯島秘書官が、「独自に応援弁士でやってもらったほうがいいという意見もあるんですよ」と言い、それに対して「いや、遊説局長に任命されたからには、総理にぴったり同行して責任を果たしますよ」と明言する。「ねえ、飯島さん。これ見てください。総理同行の時間を作るために、公示前のこの8日間、こんなに全国を応援行脚したんですよ」と応援スケジュールを見せると、飯島氏は、「ええ、すごいな」と感心。

5.飯島秘書官がこの応援日程を総理に報告。「首相に最後まで同行すると言っているようです」と話すと、総理も「へえ、こんなに回ったのか。分かった」とニッコリ了解する。(…のようだ。)

(*以上、こんな小さな事件を、よくここまで大袈裟に書けるなって感じですね(笑))

 選挙公示日から2日間、小泉総理と行動を共にした。休憩時間に総理と言葉を交わすチャンスもあった。各会場で30秒の「リングアナウンス」をやらせてもらえるのもハッピーだった。が、第一日目にして、小泉総理の遊説に「リングアナウンサー」は必要ないことが分かった。小泉首相の話を一刻も早く聞きたいと思っている聴衆にとって、「総理の紹介」なんて迷惑以外のなにものでもない。(*だから、1分間を30秒に短縮した。)自分の目的は(何度も言っているように)この選挙の勝利に貢献すること。異常な数の応援要請が飛び込んできている。仲間の選挙区で応援演説をするほうが、総理のリングアナウンスをするより、(微力ながら)よっぽど「役に立てる」という結論に達した。だから、「総理同行を降りる」ことに決めた。

 

 あ、雨が降り始めた。街頭演説に支障がないといいんだけど。もうすぐ目的地。続きは次回のレポートで。