午前10時。東京駅で新幹線をキャッチした。軽井沢駅に向かう車内でパソコンを操作している。本日は軽井沢から草津町に入り、終日、新盆回りをやる予定だ。

 

 さて、おとといの午後4時、総理官邸で小泉首相と会った。5分程度の短いミーティングだった。その時の会話の続きを書かねばならない。ええと、どこからだったかな。

 

山本:「ところで、党が非公認を決めた37選挙区に、郵政民営化賛成の候補者を擁立する件なんですが…。」

小泉:「うん。」

山本:「総理が本当にすべての選挙区に候補者を立てるというなら、人数が足りない場合も出てくると思います。もし、自民党の現職が強くて誰も立候補する人がいないとか、民主党が強すぎて当選の見込みがないとか、そんな難しい選挙区があったとして、私に出来ることがあれば遠慮なく声をかけてください。群馬県の支持者の方々を何とか説得して、(半分落選覚悟で)喜んで候補者になります!」(*ここで総理秘書官室のほうから、「総理、武部幹事長がお待ちです!」との声があった。)

小泉:(ニッコリ笑って立ち上がりながら)「いや、その気持ちだけはしっかり胸においておくよ。」

山本:(ああ、もう少しちゃんと説明したかったなと思いつつ)「ハイ、よろしくお願いします。」

部屋を出るところで、総理からもう一度呼び止められた。

小泉:「衆議院のほうの応援を頼むよ!」

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   **ここからは東京に戻った後のレポート**

 秘書官室で再び飯島氏に会った。短く言葉を交わした。

 

山本:「総理は衆議院のほうの応援を頼むって言ってたんですが…これは参議院議員として選挙応援に徹してくれという意味でしょうかね。」

飯島:「小泉内閣が山本一太を鞍替えさせてまで(地盤を奪ってまで)候補者の擁立をするようになったら、おしまいです。そこまで困ってません。借金のカタに身内を質屋に売り飛ばすようなことはしない(笑)というのが総理の気持ちです。もう、(落選覚悟で出る)みたいなことは言わないでください。」

 断っておくが、自分が「総選挙への立候補」を名乗り出た理由は、衆議院議員に「鞍替え」したかったからではない。「鞍替え」を狙うなら地元で出馬したほうがずっと有利だし、当選する可能性も高い。投票日まで1ヶ月しかない状況で、しかも地盤も看板もない選挙区(特に最も当選が難しいと思われる地域)から立候補するということは、ほとんど「政治的自殺」に等しい。最初から「捨て石」になろうという覚悟だ。こんなこと、パフォーマンスで言えるわけがない。

 

 参議院で郵政改革法案が否決され、衆院解散になる数日前だったと思う。衆院本会議で反対票を投じたある議員とある場所で会った。「参院否決で解散など打てるはずがない。だいたい、造反組の選挙区に候補者など立てられるはずがない。法案が通らなければ、小泉はそのまま討ち死なんだよ」と言うので、「いや、否決されて総辞職なんてあり得ません。小泉首相は500%、解散に打って出ますよ。しかも、造反のあった37選挙区の候補者は公認しないと思います!」と反論した。某議員は最後にこう言い残した。「たとえ解散になっても、反対派を公認せざる得ない。それが永田町の常識だ。選挙が終われば、また一緒になる。ただし、小泉首相はリコールされるよ。」

 

 その夜、赤坂某ホテルの喫茶レストランで「スポーツ報知」のインタビューを受けた。記者から「山本さんの国政レポート、いつも読んでます。臨場感があって実に面白い。ところで先日のレポートで、(万一、解散になったら、自ら候補者として37選挙区のどこかで立候補してもいい)と書いてましたよね。あれは、どんな意図なんでしょうか?」と聞かれた。ちょっと考えて、「小泉総理から(どうしても頼む)と言われたら、バッジを失う覚悟で立候補を真剣に検討するということです。もちろん、地元(選挙区)の支持者の方々の了解は得なければいけませんが…」と答えた。このインタビューが、翌日、有名な「ヒットマン宣言」(笑)というタイトルの記事になったというわけだ。

  

 自分のような「ちびっこ議員」が言うのは僭越だが、「損得抜きで小泉改革を応援する」「勝算は度外視して戦う意志のある」改革派の政治家がいることを内外に示したかった。別の言い方をすれば、「郵政民営化に反対する37選挙区の候補者は公認せず、しかもすべての選挙区に賛成派の候補者を擁立する」という総理の断固たる決意を改めて促したかった。そのためには議員バッジを賭けてもいいと思った。あの発言の真意はそういうことだ。

 

 自分の「小さな覚悟」は、総理官邸に伝わったと思う。政治の世界(永田町)には、独特の文化がある。どんな「小さな石」であっても、タイムリーに投げ込めば波紋が広がりやすいという文化だ。「政治家:山本一太の覚悟」は形にならなかった。(*正直いうと、ちょっぴりホッとした。)が、自分の行動は無駄ではなかったと確信している。「37選挙区に改革派の候補者を立て、有権者に選択肢を提供する」という流れを加速することに少なからず貢献したと自負している。

 

 実は、おとといの午後、小泉総理に面会を求めたのは理由がある。その前日に党幹部から、あるオファーをもらっていた。「今回の衆議院選挙の遊説局長になって欲しい」という要請だった。「遊説局長」になったら、総理の全国遊説に同行することになる。どうしても勝ち抜いてもらわねばならない仲間(若手改革派議員)からも、次々に応援の依頼が舞い込んできていた。小泉総理が「捨て石」としての自分を必要としているかどうかを確かめるまでは、遊説局長ポストを受けることも、仲間の応援スケジュールを作ることも出来ない。だから、どうしてもこの日に会って「総理の気持ちを確かめる」必要があった。

 

 幸か不幸か、「捨て石」戦略は採用されなかった。ああ、これでスッキリした。衆院選挙の告示後は、小泉首相と一緒に全国を飛び回る。主役(総理)のすぐ側でこの歴史的な選挙を体感することになる。政治家としてこれほどエキサイティングな経験はない。

 

追伸:

1.本日は終日、草津温泉の挨拶回り。町役場で昼食を共にした50代の町長(草津町の山本後援会会長&観光カリスマ)が言った。「一太先生の一連の発言にはシンパを感じます。誰かが最初にやらなければ、何も変わらない。つまり、最初の1人になろうという勇気には感銘を受けました。」この言葉はとても嬉しかった。「捨て石」になろうとした自分の行動の意味を、ちゃんと分かってくれている人がいる。しかも、生まれ故郷の草津町に。

2.「立候補してもいい」発言については、地元から様々な反応があった。選挙区の支持者の方々には、ご心配をおかけしたことをお詫びしなければならない。この件については、次回のレポートで。

3.午後11時30分。スイカを食べながらレポートを書き終えた。明日も朝の新幹線で選挙区へ入る。朝から晩まで「新盆回り」のスケジュールがつまっている。