高崎から午後8時の新幹線に乗り、東京に戻ってきた。(地元は群馬県なので、「やって来た」と書くべきかもしれない。)
午後6時から、前橋で行われた自民党県連の前事務局長の退任及び出版記念パーティーに出席。40年近く自民党県連の仕事に関わり、群馬出身の3人の総理誕生を目撃してきた名物事務局長だった。国会議員を含む地元各界の有力者がズラリと顔を揃えていた。乾杯の後で、短くこんな中身の挨拶をした。(*ザワザワした会場で長くスピーチするほどセンスの悪いことはない。)
「00事務局長の本を読ませていただきました。地元の偉大なる3人の総理のことが書いてありました。驚いたのは、私の亡父、山本富雄(元参院自民党幹事長)のことが随所に出てくることです。何しろ、(山本富雄の野望)というタイトルの項目がその3まであるんですから。ああ、2人は保守王国群馬を支えてきた同志だったんだなあ。こんなに仲良くしていただいたのかと感激しました。」
そしてこう締めくくった。「本の中で、亡父のことを、(まさに政治家になるために生まれてきたような人物)と評する部分があります。オヤジが生きていたら、どんなに喜んだことでしょう…これからも、益々ご活躍ください。」
会場の雰囲気や出席者を考えて、実際には言わなかったが、実はこうつけ加えたかった。「早いもので、私が政治家になってから10年が経ちました。私のこの10年間は(二世議員である)という原罪を乗り越えるための戦いでした。それは、世襲候補という形で、もしかすると自分より能力があったかもしれない人々のチャンスを奪って国会に出たという原罪です。」
さらにこう続けたかった。「二世議員だから選ばれたのではなく、本人に政治家としての資質がある、能力と志があるということを証明するため、必死になって勉強し、行動してきた10年間でした。でも、この本を読んで、改めて父親の政治家としての姿勢や志に触れ、保守王国の基盤を作ってきた00前事務局長をはじめとする先輩方の努力を知り、少し肩の力を抜いてもいいのかなと思いました。父の時代からお世話になっている方々との関係をもっと大切にしなければいけないと思いました…。」
追伸:久し振りに父のことを思い出した。以前にもこのレポートに書いた憶えがあるが、世の中とは皮肉なものだ。亡父は、最後まで「知事になりたくて」、しかし、どうしてもチャンスを掴めなかった。これに対して、知事選に出ることなど全く考えていない自分を「知事にかつごう」(そこまで過大評価をしていただけるのは光栄だが)と本気で働きかけてくる多くの支持者や有力者がいる。さらに言えば、自分が今、壊そうとしている参院自民党の権力構造の装置(個々の個性を封殺して、1人の実力者が権力を握るというやり方)は、亡父が作り上げ、村上幹事長によってパワーアップされ、青木幹事長に引き継がれたものと言っていい。
父親が生きていたら、今の自分の政治スタイルや活動をどう思うだろうか。「お前はテレビに出過ぎた。政治家はあんなに喋るもんじゃあない。チャラチャラするな。」と怒られるだろうか。「街頭演説をやったり、歌なんか作っている暇があったら、もっと後援会の組織作りとか、地に足のついた活動をやれよ。」と諭されるだろうか。
いや、きっとこう言ってくれるに違いない。「時代が変われば、政治家のタイプも変わる。俺のやり方とはずい分違うけど、村上さんや青木さんにまで逆らうなんて、お前もなかなかやるじゃないか。(中途半端)が一番良くない。信じたとおりにやってみろよ!実のところ、お前は俺が(あの時代に)本当はやりたくて出来なかったことをやってるのかもしれないよな。」